読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本人とは何か。

「◎「骨(かばね)の代」の氏族体制

一体「骨(かばね)」とは何であろうか。それは大体氏族の首長もしくは中心的人物をいうと定義してよいであろう。これは韓国語の「骨」の用法を用いたと見るのが定説で、韓国では「真骨」もしくは「第一骨」といえば王族のこと、「第二骨」といえば貴族のこと、これが日本に伝わり、たとえば「武烈天皇紀」に「百済国守之骨族」という語が見える。(略)

 

 

 

 

そしてこの氏族が土地・人民を所有して半独立国のようになっており、時にはそれらが相争って「倭国の内乱」となるわけだが、その中のおそらく最大に氏族が天皇であり、他の氏族と違う点はおそらく祭儀権を持っていたことであろう。(略)

 

 

そして祭儀権者が亡くなり、この連合が崩壊すると混乱して内乱状態となる。こういう場合、中国から張政のような者が来て、祭儀権者の後盾となって混乱を収束させたものと思われる。この、女帝が祭儀権をもち、皇太子その他が統治権を行使するといった形態は、推古女帝と聖徳太子、皇極女帝と中大兄皇子、その他の例に見られる。(略)

 

 

 

前述のように日本人は元来は姓がなかったと思われる。この点では東南アジアを連想させるが、やがてこの職業その他が姓になっていく。たとえば地方官の国造・県主は和気・君・稲置・村主等の姓となり、また職業・技術・地名等も姓となった。(略)

 

 

 

 

中央の朝廷にはこの種の部が数多くあり、その長が姓を有し、その仕事は世襲であった。日本人の姓が何によって生じたかといえば大体以上がその起源だが、その姓が今まで継承されているわけではない。日本では養子が自由だから、よい世襲権をもつ家に養子に行くこともある。さらにこの氏族の人数が増加すると、苗字が生じてくる。

 

 

元来は、苗字と姓は同じではなく、分家に対する称号で、たとえば藤原家が近衛・一条・二条・九条・鷹司等の苗字を持つようなもの、この場合、正確に言えば「姓は藤原、苗字は近衛」となるが、しだいに苗字が姓のかわりになってしまう。そして武家時代になると各人勝手に姓を名乗る。元来無かったのだから、それらは自由自在で、足利末期には下層民が上層貴族の苗字を名乗るに至る。

 

 

 

話は先に進み過ぎたが、以上のような氏族制は、次第に崩壊せざるを得なかった。(略)

そしてこの弱点が最も強く露呈してきたのは、再び国内を統一し、強力な帝国となった隋・唐が、その勢力を朝鮮半島にのばしてきて、百済から援軍を要請されたときであった。

 

 

 

救援の日本軍は白村江で惨敗して百済は亡びる。次は日本の番ではないかという恐怖は、北九州の防備を厳重にしたことに現れている。(略)

 

 

 

だが六朝の影響の下で、政治より文化を優先させていたこと、そして詩や歌をつくることに大きな価値を置いていたことは、決して無駄ではなかった。「かな」を生み出す、大きな要因になったと思われるからである。」