読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

山本七平

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「天皇と同意見だと不敬罪」の不思議 尾崎行雄のこの文書は、今まで見て来た天皇の平生の意見、すなわち「五箇条の御誓文」と「明治憲法」の絶対化とほぼ同じであると言ってよい。まことに皮肉なことに、天皇とほぼ同じ意見を述べると不敬罪になる。 もっ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十章 「憲政の神様」の不敬罪 = 東条英機は、なぜ尾崎行雄を起訴したのか 尾崎演説の何が東条首相を怒らせたのか 天皇自身が機関説を信奉して、そのとおりに行動し、前述のように「ああいう学者(美濃部博士)を葬ることは、すこぶる惜しい」と言われても…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「社会民主主義に共感を抱いたのは、”時代”だった 簡単に言えば、磯部浅一らの青年将校が企画したのは、天皇をかついでの軍う独裁内閣であり、戒厳令のもとで憲法を三年間停止し、その間に国内の一大改造をやろうということで、こういったケースは戦後の中進…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「機関説排撃がもたらした思わぬ影響 しかし機関説は軍内部の主導権争いから”異端”のレッテルに用いられるようになると、天皇の御意向などおかまいなく、この排撃論はますます強くなる。さらにそれが政界にも及び、政敵追い落としにも使われる。こうなると始…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「北一輝には「天皇尊崇の念」など全くなかった ではここで北一輝への妄信の構造を少し調べてみよう。(略) だがここでは第一の顔、すなわち彼の著作を通してみた基本的な思想のみを採り上げたいと思う。といっても、これも短い紙面への要約は相当にむずか…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「九章 盲信の悲劇 = 北一輝は、なぜ処刑されねばならなかったか 北一輝の処刑は、明らかに不当 本書は、二・二六事件について記すのが目的ではない。しかしこの事件は、天皇への「逆照射」となって、その実像を浮かび上がらせる貴重な資料を提供している。…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「真崎大将、陸軍首脳の腰抜けぶり 一方、陸軍の首脳の多くは彼が見た通り腰抜けで、右往左往するだけであった。この点、東京陸軍軍法会議における裁判官の一人、陸軍法務官・小川関治郎の「ニ・二六事件秘史」は、まことに的確に事件の概要を要約している。…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇と磯部浅一との「心理戦争」 天皇のいらいらはまだつづくが、磯部浅一の計画はこのとき挫折したといってよい。(略) そして動揺がはじまると崩壊は早かった。首謀者は、部下に離脱されて崩壊したという結果になる事を恐れ―― 一部ではすでにそうなって…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「事件勃発、天皇の決然たる対応 天皇に反乱勃発を伝えたのは当直の甘露寺侍従、時間は五時四十分すぎ――。 「陛下はまだ御寝になっている時刻だが、事柄が事柄だけに、一時も早く奏上せねばならぬと、御寝室に伺った。差し支えない。緊急の用務ならここで聞…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「八章 天皇への呪詛 = 二・二六事件の首謀者・磯部浅一が、後世に残した重い遺産 決起将校の”読み違い”を招来した一事件 天皇への批判はもちろんあるであろう。また怨みを抱いている人もいるかもしれない。しかし、天皇を呪いに呪って呪い殺しそうな勢いで…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「相沢中佐の異常心理と「昭和維新」 ”総括”を思わせるのが、相沢(三郎)中佐の永田(鉄山)事務局長斬殺事件(昭和十年八月)である。その背後にあったのは、陸軍内の皇道派と統制派の争いで、細部は除くが、資料を見るとこの近親憎悪はすさまじいが、今回…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「戦争制御における内閣の権限と、近衛の言い訳 この「天皇と憲法」という問題で、自決前(昭和二十年十二月)に令息に渡した所感で、近衛は次のように回想を記している。 「日本憲法というものは天皇親政の建前で、英国の憲法とは根本において相違があるの…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「七章 「錦旗革命・昭和維新」の欺瞞 =なぜ、日本がファシズムに憧れ るようになったのか ファシズムの台頭と、青年将校たちの憧れ 前述のように、天皇が摂政になられたのが大正十年(一九二一年)、その翌十一年、イタリアではムッソリーニの率いるファシ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「かたくななまでに憲法を遵守する姿勢のルーツ 天皇はしばしば「立憲君主として」という言葉を口にされ、また「憲法の命ずるところにより」とも言われている。そしてその私生活は、まことに生まじめなぐらい「教育勅語」の通りである。そしてその基本を「五…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「売家と唐様で書く三代目」 この「憲政の王道を歩む守成の明君」を育てるという杉浦の方針は相当に徹底したもので、「草案」で日本の例を挙げる場合、信長・秀吉・家康は、その表題にはないが「徳川家光」は出てくる。理由は明らかで、彼は家康から三代目…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「重剛、天皇にロシア革命の真因を説く 次の「ペートル大帝」は、ほぼ称賛の対象になっているが、北方戦争で今のレニングラード附近をスウェーデンから奪取して海への出口を確保したことはわずか二行にとどめ、その内容はほとんどが、いかにして西欧の科学技…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「六章 三代目 —— 「守成の明君」の養成 = マッカーサー会談に見せた「勇気」は、どこから来たか 「「創業と守成のいずれが難き」 一人間の生涯を考えると、すべてが幼少時の予定どおりにいったという例は皆無に近いであろう。これは天皇とても例外ではない…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇退位の決定権は誰にあるか この「反面教師」と天皇とを比べていくと、さまざまな点で、その行き方が全く逆なことに気づく。だがそれについては、後述するとして、敗戦のときウィルヘルム二世はすべてを投げ出すようにして退位し、オランダに亡命したこ…

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「天皇の反面教師 —— ウィルヘルム二世 一方、天皇が何に基づいてこのような行動を取られたか、これは謎として残る。というのは天皇に「敗戦教育」をした人間はいないし、いるわけがない。戦前の日本で天皇に「無条件降伏の際はこのように行動されますように…

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「五章「捕虜の長」としての天皇 = 敗戦、そのときの身の処し方と退位問題 天皇とマッカーサーの単独会見 天皇は、天皇家の神祇を実にまじめに実施されている。これは「大宝律令」以来、天皇は神祇官と太政官の長であるという伝統に基づくものだが、この場…

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「明治における「神代史」研究の状況 では「明治時代の合理的説明」ではどうであったか。白鳥博士はまず次のように記されている。 「明治の代になって、西洋の文物が輸入せられ、国家の文運は各方面において全く面目を一新するほどに発展を遂げたのであるが…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「白鳥博士は「神代史」をどう解釈したか さてここで問題になるのはまず第一に、白鳥博士がどのような歴史観を持ち、日本の「神代史」をどう解釈されたかであり、第二は、それを何の妨害も掣肘もなく、裕仁親王すなわち後の昭和天皇に教えたか否か、という問…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「四章 天皇の教師たち(Ⅱ) =歴史担当・白鳥博士の「神代史」観とその影響 天皇は、神話や皇国史観をどう考えられたか アメリカ人が「日本人は天皇をGodと信じ、このGodが戦争の開始を命じたから戦争をし、停止を命じたからやめた」と信ずるのは彼らの自由…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「道徳では負けないが、科学で劣っている」 ついで重剛は各条の解説に入る。(略) まず第一に、重剛は、「広ク会議ヲ興シ」の会議とは、町村会、群会、 県会、帝国議会などを指すのだとして、次のように述べていることである。 「第一条においては、門閥…

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「維新体験者の「御誓文」に込められた思いとは そして次に「五箇条の御誓文」にうつる。「趣旨」のその部分を次に引用しよう。 「わが国は鎌倉時代以後およそ七百年間、政権武家の手に在りしに、明治天皇に至りて再びこれを朝廷に収め、更に御一新の政を行…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「普通倫理」と「帝王倫理」 重剛は「帝王倫理」と「普通倫理」は分けがたい点があるとしているが、その教育方針は、大体「普通倫理から帝王倫理」という行き方で、はじめは、ほとんどこれを分けることをしていない。「知仁勇=知情意」などは、両者に共通…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「三章 「三種の神器」の非神話化 =道徳を絶対視しつつ、科学を重んじる杉浦の教育方針 三種の神器は「知・情・意」の象徴 「倫理御進講草案」には、その冒頭に「趣旨」が記され、次の言葉で始まる。 「今回小官が東宮殿下に奉持して倫理を進講すべきの命を…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「倫理の教師に、杉浦が指名された理由 (略) 実は前々から、この忘れられた「書生道楽」者に眼をつけていたらしい人がいた。それが浜尾新(一八四九~一九二五年)である。かれは東大総長を二度つとめ、文部大臣も経験した教育界の長老だが、重剛が大学南…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「後の天皇が、独伊を信頼しなかったのはなぜか また英米についての関心は、様々な問題に関連して出てくる。(略) これと比べると、このような形で全然出てこないのが独伊である。これは、知らないから当然ということになるであろうが、重剛はこれらの国に…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「杉浦重剛の青年時代と自己形成 ここでまず、資料の最もはっきりしている杉浦重剛(通称・じゅうごう 一八五五~一九二四年)について、少し記さねばならない。彼はすでに忘れられた人であり、また様々な資料で彼の名を知る人も、だいたい写真でその風貌に…