読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

天皇ではなく、国民全体が”三代目”

 

「次に、予審判事が、予が引用した所の「売家と唐様に書く三代目」という川柳に重きを置き、今上陛下が、たまたま王政維新以後、三代目に当たらせ玉えるため、これを以て、不敬罪犯行の要点となせるは、甚だしき誤解であって、なお無理に理由をつけたものである。

 

 

予審判事はこの川柳を鄙俗と罵っているが、その実は、千歳不磨の金言である。故に杉浦重剛氏の如きも、御進講の際、これを引用して皇太子殿下(後の昭和天皇)の御考慮を煩わしている」

 

 

このことは既に述べた。いわば「倫理御進講草案」の基本は、あくまでも「三代目の守成の明君」を育てることで、信長的な「創業の英雄」を育てることではなかった。しかし「守成」は、ある面では「創業」より困難であり、天皇はこのことを「貞観政要」の項で学ばれたはずである。では日本の場合はその困難はどこにあるのか。尾崎行雄は、これを「第一代目」「第二代目」「第三代目」のそれぞれの「世態民情」として記していく。(略)

 

 

以上簡単な略記だが、幕藩時代から明治維新、そして維新政府の有司専制(有司とは官僚のこと)と憲法発布を目指す時代の中で、「憲政へ」という明確な目標を定めて活動しつつ生きて来た。その彼が、前文に引き続いて次のように記す。

 

 

「守成の困難、特に明治維新後の如く、国政にわかに勃発せる時際においては、上下一般に、不誇驕慢に流れやすきを常とする。したがって起こる所の逆上懈怠軽挙盲動を戒むるためには、この川柳ほど有効なものはなかろうかと思い、予は明治の末年以来、数々これを筆舌に上せている。

 

 

万機公論に決する御聖誓により、すでに憲法政治を実行し玉える時世において、国家の公事について予が言うところの二代目三代目は、国民全体を意味するものであって、決して上御一人を指言するものではないこと、もちろんである」

 

 

言うまでもないが問題になったのは選挙演説である。そして彼の演説の全文を要約すれば、

 

 

天皇は三代目だが、憲法があるから、いわゆる”三代目”にはならない。問題は独伊にかぶれて翼賛会などというものをつくり、政府がそれに選挙資金を出し、官選に等しいようにすることは、憲法を否定するに等しい。お前たち昭和人も三代目、その三代目がそんな動きに流されて憲法を否定するような投票を行なえば、天皇以下全員が本当に”三代目”になってしまうぞ」ということであった。」