読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「意見の相違は、法律上の問題にはならない」

 

彼が心配したほど司法部は行政部すなわち東条内閣に屈従していなかった。

このことは大審院の無罪の判決が示しているであろう。この点で、彼の「不刑罪の宣告を受けて」と「大審院への上申書」も何らかの影響を与えていたのかもしれぬ。後者の中で彼は次のように述べている。

 

「(一)判決の記述は、大体において、政治問題とはなるべきも、法律問題特に刑事問題にはならない。(中略)

 

第二に(判決理由書は、)「近時大政翼賛会ノ設立ヲ視ルヤ、被告人ハ(中略)之ヲ目シテ明治天皇ノ御趣意ニ背馳スルモノナリト思惟シ(中略)之ニ反対ノ意向ヲ表明シ来」云々と記せり。(略)

 

 

第五に、判決理由書は、予が選挙民に示すために起草した文書中に、臣民の権利自由を保証したる憲法の条文を掲げて、我が帝国憲法は、決して自由主義を否認するものではないことを記述し、また日英同盟条約成立の際、明治天皇は、閣僚全部に、叙爵昇爵の恩典を与え玉える事実を記述したる三事を咎めて、不謹慎となし、また「皇室尊崇ノ念ニ於テハ欠クル所アル傾向ノ現ハレノ証拠」となせり。

 

 

英米に対して開戦した今日において、これらの事実を公言するの是非得失は、意見bの相違に過ぎない。これまた政治問題にはなるべきも、不敬罪の要素にはならない」

 

 

ここで尾崎行雄が言っていることは、きわめて重要であると思う。簡単に言えば、それは「意見の相違は法律上の問題にはならない」ということである。

確かに権力者にとって、これを批判する者は、沈黙させたい対象であろう。そこでこれを沈黙させるため司法権を利用する。

 

 

マスコミが第四権力となると同じ傾向を生じ、新聞社や新聞記者の中には「新聞不敬罪」が存在するかの如くに振舞っているものもある。たしかに訴訟は、一個人にとって、そのため浪費するエネルギーと時間と費用は、耐えられないほどの負担である。

 

 

我が子を故意に餓死させたかの如き虚報のため、鉄道自殺に追い込まれた支店長の悲劇(上前淳一郎著「支店長はなぜ死んだか」文芸春秋社刊)などは、このことを語っているであろう。

さらに、「訴訟」という言葉を強迫的に用いて、言説の撤回を迫られた人も現にいる。意見の相違を”不敬罪”に引っ掛けるような傾向は、今もなくなってはいない。

 

 

 

「小人卑夫」の「野卑醜陋」を嘆く

 

彼は、さらに自らの意見を説き進める。

「予はかねてより、わが臣民をして、大国民たるの資格を維持し、かつ増進せしめたく企画している。また敵味方の区別によりて、正邪曲直を顛倒するが如きは、小人卑夫(つまらない卑しい人間)の所業にして、わが武士道の許さざる所と信じている。

 

 

したがって英米と開戦したからといって直ちにこれを「鬼畜」と罵り「撃滅」と叫ぶが如きは、世界将来の平和を企図し玉える聖旨に背戻する所業と確信する」(略)

 

 

事実、戦時中の新聞を開いてみれば、その見出しといい、内容といい、文字どおり「小人卑夫」の「野卑醜陋」の言葉の連続といってよい。それを批判したら犯罪だと言われれば、もはや国民は沈黙せざるを得ない。

 

 

一体なぜ東条は、尾崎を槍玉に挙げたか。理由は明らかである。簡単に言えば、彼らは二・二六事件でなし得なかったことを、別の方法で進めようとしていた。彼らは天皇機関説を非難攻撃しつつ、これを逆用した。というのは天皇は機関説り「立憲君主の道」から踏み出そうとしない。そして一木・美濃部説によれば「天皇と議会とは同質の機関とみなされ、一応天皇は議会の制限をうける」

 

 

 

「議会は天皇に対して完全なる独立の地位を有し、天皇の命令に服するものではない」のであるから、軍部が翼賛会を通じて議会を乗っ取ればよい。(略)

 

 

 

こうなってしまうと、天皇に残された唯一の抵抗手段は、上奏されてもなかなか裁可しない一種の「スト」だけになってしまうが、それも限度がある。もし「意に満たぬもの」は裁可を拒否するとなれば、これは「立憲君主」ではなくなってしまう。だが、そうなれば司法権もまた屈従を強いられるから、ここではっきりと独自性を示さねばならぬことになるであろう。しかし、それに進む前に「大審院への上申書」の中のいわゆる「三代目」問題に移ろう。」

 

 

〇 尾崎行雄の言説を聞いていると、現代の安倍政権に対する怒りや情けなさを表現しているものではないのか、と錯覚してしまいます。