読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「五章「捕虜の長」としての天皇 = 敗戦、そのときの身の処し方と退位問題

 

天皇マッカーサーの単独会見

 

天皇は、天皇家の神祇を実にまじめに実施されている。これは「大宝律令」以来、天皇神祇官太政官の長であるという伝統に基づくものだが、この場合の天皇もあくまでも「祀る人」であって「祀られる対象」ではない。このことを杉浦は「大宝令」の章で述べている。

 

 

だがそれがそのまま現代に継続したのでなく、武家政治で中断され、更新された天皇制は「五箇条の御誓文」にはじまる。これは「倫理御進講草案」の「五箇条の御誓文」に引用されている「明治元年三月十四日の御宸翰(ごしんかん)」の中に「朕自ら身骨を労し心志を苦しめ艱難の先に立ち」という言葉があるが、前記の詔書は、天皇がまずマッカーサーとの単独会見という少々驚くべきことを実行された後に公布されたことは、注意すべきであろう。(略)

 

 

戦後の天皇の処置についての二十年六月二十九日のギャラップの世論調査では、

「処刑せよ 33%、 裁判にかけよ 17%、 終身刑 11%、 国外追放 9%、 そのまま存続 4%、 操り人形に利用 3%、 無回答 23%」

であり、この「無回答」も絶対に好意的無回答ではあるまい。処刑から追放までが実に七〇パーセントである。「人気」を気にするマッカーサーが、この世論を完全に無視することはむずかしい。

 

 

「「骨のズイまでも揺り動か」されたマッカーサー

 

このマッカーサーを、天皇終戦の年の九月二十七日に訪問し、会談された。まことに、「艱難の先に立ち」だが、その内容は明らかにされていない。というのは「天皇マッカーサー会談」は、今後とも一切外部に漏らさない、という約束の下に行われたからである。(略)

 

 

 

天皇はこの約束を実に生真面目に実行された。後に(昭和五十二年八月二十三日)、記者会見でこの会談について質問されたいるが、

 

マッカーサー司令官と当時、内容は外に洩らさないと約束しました。男子の一言であり、世界に信頼を失う事にもなるので話せません」

と答えておられる。また側近の中にも、その内容を「漏れ承った」者はいない。

天皇は生涯この約束を守られ、一言も言われなかったが、マッカーサーの方は必ずしも約束を守っていない。そのため、内容が察知できるのは、彼のリークだけだが、日本側にも全くないわけではない。それは藤田侍従長のメモである。(略)

 

 

 

マッカーサーはまず、天皇が非常に憔悴して落着きがなかったと記しているが、これは事実であろう。当時は、私はまだ、フィリピンの収容所にいたので何も知らなかったが、帰国後に、終戦後にニュース映画や写真などで天皇を見た人たちが「憔悴しきっておられ、痛々しくて見ておられなかった」と語るのを聞いたからである。(略)

 

 

天皇の禁酒・禁煙、さらにこの時出されたコーヒーにも手をつけられなかったことからも、そう思わざるを得ない。ただ以下の記述はおおむね信頼できる。

 

 

「私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇戦争犯罪者に含めろという声がかなり強く挙がっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よく分かっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。

 

 

 

ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんなことをすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられることにでもなれば、日本中に軍政を布かねばならなくなり、ゲリラ戦がはじまることは、まず間違いないと私はみていた。結局、天皇の名は、リストから外されたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。

 

 

しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。

 

 

「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためおたずねした」

 

 

私は大きな感動に揺すぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」(略)

 

 

いわば天皇の要請は、戦犯裁判を自分一人に留めることによる実質的な中止と、国民の食糧難の解決の二点なのだが、この点は、マッカーサーの要約で少々ぼかされている。ただマッカーサーの雑談の中には「天皇はこう言った。自分はどうなってもいいが、国民を食わせてやってくれ、と」というのがあり、これらの点では藤田侍従長の記述の方が正確であろう。

 

 

「私を絞首刑にしてかまわない」

 

少々不思議なことは、これに対してマッカーサーがどう答えたかの記録が全くないことである。(略)彼は自己顕示欲が強いから、それに対してどう言ったかを劇的な”名文”で記すのが普通であり、「回想記」には劇的な場面に必ずと言ってよいほどにそれが出てくる。それがないのはおそらく、この時のマッカーサーの最大の関心事は、この天皇の言葉が洩れないことであったからであろう。

 

 

 

というのは、もしアメリカの新聞に「ヒロヒト、戦犯第一号としてマッカーサーに自首 — 全責任は私に」という見出しが躍ったら、前記のギャラップの世論調査から見て、彼にも収拾できない事態を招来すると感じたのであろう。(略)

 

 

天皇の第一の目的が、戦犯裁判には自分一人が法廷に立てばそれで十分のはず、と言いに来たことは明らかである。というのは終戦後間もない八月二十九日の「木戸日記」に、

 

「戦争責任者を連合国に引渡すのは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分一人引き受けて退位でもして納めるわけにはいかないだろうか」

というお言葉がある。この「退位でもして」は相当幅の広い意味であろうが、天皇マッカーサーへのお言葉はこの延長線上で考えるべきであろう。

 

 

 

なおマッカーサーのリークの中で、ある程度信頼できるのは、半藤一利氏が記されているヴァイニング夫人の記述であろう。次に引用させていただく(前出の論文より。70ページ参照)。

 

 

 

「ヴァイニングは十二月七日の項で、マッカーサーが語ったという会談の”一問一答”をこう記述した。(わかりやすく書くと)

 

元帥  戦争責任をお取りになるか。

天皇  その質問に答える前に、私の方から話をしたい。

元帥  どうぞ。お話しなさい。

天皇  あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け容れる。私を絞首刑にしてかまわない。

―― 原文では、”You may hang me" と記載されているという」

 

 

 

(略)

では天皇に何かの計算があったのであろうか。何もなかったであろう。マッカーサーはこれに「骨のズイまでも揺り動か」されたと記しているが、同時に困惑もしたであろう。というのは、彼は「よろしい、その通りにしよう」とも言えないし、「断る。あなたを起訴しないが、日本国民の飢餓に私は責任を持たない」とも言えないからである。

まことに、捨身の相手は扱いに困るとも感じたであろう。彼の応答が記されていないのは不思議ではない。(略)