「九章 盲信の悲劇 = 北一輝は、なぜ処刑されねばならなかったか
北一輝の処刑は、明らかに不当
本書は、二・二六事件について記すのが目的ではない。しかしこの事件は、天皇への「逆照射」となって、その実像を浮かび上がらせる貴重な資料を提供している。加賀乙彦氏は「北一輝と青年将校たち」という小文の中で、彼らの行為を「盲信の悲劇」と記されているが、まことに適切な評言だと思われる。
彼らは天皇の意志を知らずに盲信しただけでなく、北一輝の思想を知らずに盲信していた。これは北一輝の著作を読めば明らかである。
この点で、北一輝の処刑は、「盲信された者の悲劇」といえるであろう。これは「天皇の戦争責任」を論ずる場合の貴重な示唆となる。
磯部浅一は「日本改造法案(大綱)は、一点一画・一字一句ことごとく真理だ、歴史哲学の真理だ、日本国体の実表現だ、大乗仏教の政治的展開だ」と記している。しかし彼らは天皇機関説を否定し、国体明徴を叫んで決起したはずである。一方、北一輝は明確な、天皇機関説の信奉者である。
また「ある全共闘系の学生が、「大綱」(「日本改造法案大綱」)に惚れ込み、このなかの「天皇」を「革命執行部」と書き換えれば、そのまま革命の指導書として使えると感心していたが、たしかにそれだけの筋道と迫力は「大綱」に備わっている……」と、加賀乙彦氏は記しておられる。
二・二六事件の青年将校たちは、天皇を革命執行部のように盲信していたから、この点では彼らも全共闘の学生も大差ない。全共闘の学生は本当に北一輝の全著作を読んだのであろうか。それなら法華経と革命との奇妙な結びつけをどう解釈するのか、と言ってもはじまるまい。次に加賀乙彦氏の記述を引用させていただく。
「青年将校たちは北一輝を遠くに見て神格化し、その思想を奉じて決起したと信じたが、実際にはその思想の一部を拡大し極端にして、自分たちの行動を正当化したにすぎなかった。彼らの北に対しての係わり方は、そのまま天皇へ対しての係わり方となる。彼らは、まさしく雲の上の天皇を信じ、天皇の心を体して行動していると信じたが、当の天皇個人が何を考えているかを思わなかった」
盲信して行動を起こして処刑されるのは、確かに悲劇であろうが、勝手に盲信されたがゆえに処刑されるのはさらに大きな悲劇である。天皇がマッカーサーに”You may hang me.” と言い、その結果、天皇が絞首刑になったら、これまた盲信された者の悲劇となったであろう。(略)
しかしそれを論ずるなら「盲信された者の悲劇」は慎重に除去せねばならない。北一輝の処刑は、誰が見ても不当である。盲信したのは盲信した者の責任であって、盲信された者の責任ではあるまい。」
〇天皇を盲信し、「天皇陛下万歳」と言って死んで行ったのは、盲信した者、盲信させたものの責任であって、盲信された天皇の責任ではないということが、
とてもわかりやすく説明されていると思いました。
それは確かにそうなのですが、でも、「天皇」という存在、立場には、どうしても「日本神道」系の宗教色が漂ってしまいます。
意志的に宗教を選択して受け入れるつもりもない人も、お正月には初詣と称し神社に行って、お参りします。その血や肉にしみ込んでいる宗教的なものが、ある時、盲信を生むのだろうなぁと思うと、これは、相当にむずかしい問題だと感じます。