読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「 3 戦前国体の三段階

▼ 「戦前の国体」の三つの段階

国体の歴史的軌道を追跡するにあたって示唆を与える議論を展開しているのが、社会学者・大澤真幸の「戦後の思想空間」(一九九八年)である。同書で大澤は、戦前と戦後の並行性を考察しているが、その際に天皇制に言及している。大澤によれば、戦前の天皇制は、天皇と国民の関係性において三つの段階を経過したという。

 

すなわち、明治時代は「天皇の国民」として、大正時代は「天皇なき国民」として、昭和前期は「国民の天皇」として、それぞれ定義できる。(略)

 

 

 

▼ 北一輝の理想 ― 「天皇の国民」から「国民の天皇」へという反転

この定義を反転させたのが、北一輝に代表されるファシズム思想であった。北の「日本改造法案大綱」(一九二三年)の最初の章は端的に「国民の天皇」と題されている。(略)

 

 

 

彼らが社会的矛盾の解決方法と見なした「君側の奸を討つ」とは、天皇と国民との本来の一体性を阻害する邪魔者(具体的には、重臣、財閥、政党政治家等)を取り除いて、天皇を国民の側に奪還する行為であると観念された。その意味で、二・二六事件は「国民の天皇」の観念が最も先鋭化した瞬間を印している。

 

 

(略)

 

 

以上のように、戦前の国体史を最もシンプルに総括するならば、「天皇の国民」から「天皇なき国民」の段階を経て「国民の天皇」へと達したところで、システムが崩壊するに至ったという歴史として把握することができる。(略)

 

 

 

4 戦後国体の三段階

▼「戦後の国体」も戦前の過程を繰り返す

同様のサイクルを戦後史に当てはめることが可能であると想定するのが、本書の方法である(六~七頁の年表参照)。(略)

 

 

 

▼対米従属体制の形成期 ― 「アメリカの日本」の時代

一九五一年の日米安保条約締結は、対米従属体制の形成と確立を促進したが、それは逆に言えば、その体制は当時まだ不安定であったということである。

その不安定性が最高潮に達するのが、一九六〇年の安保改定に伴った安保反対闘争であったが、結局安保改定は実現し、日米の支配層はこの深刻な政治危機を乗り切ることに成功した。つまりは、日米安保体制は安定期へ向かうこととなった。(略)

 

 

そして、この感情と一体をなすかたちで、全共闘運動は展開されることとなる。その終焉を印した象徴的な出来事は、連合赤軍事件(一九七一~七二年)とそれにわずかに先立つ三島由紀夫の自決(一九七〇年)であっただろう。(略)

 

 

 

▼ 対米従属の安定期 ― 「アメリカなき日本」の時代

かくして、戦後は第二期に入る。第一期と第二期を画する出来事のひとつにニクソン・ショックがある。一九七一年のニクソン訪中宣言(米中国交樹立へ)ならびに金ドル交換停止(ブレトン・ウッズ体制の終焉)である。(略)

 

 

結果、一九七〇年代から八〇年代にかけては日米貿易摩擦が激化する。戦後の日本人がナショナリズムを最大限に満足させることができたのは、この時代においてであっただろう。(略)

 

 

「戦前の国体」のサイクルと比較して言えば、「天皇なき」大正デモクラシーの時代が一五~二五年程度(論者によって異なる)の小春日和として経験されたのと同じように、「アメリカなき日本」の時代が、一五~二〇年にわたって経験されたのである。」