読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「第三章 近代国家の建設と国体の誕生

1 明治維新と国体の形成

▼ 若き北一輝の嘆き

本章では、「戦前の国体」が形成された時期、すなわち「戦前レジーム」の確立過程にスポットをあてる。具体的には、明治維新(一八六八年)に始まり、大日本帝国憲法の制定(一八八九年発布、翌年施行)を経て、おおよそ日露戦争(一九〇四~〇五年)から大逆事件(一九一〇年)および明治の終焉(一九一二年)頃までの時代を「戦前の国体」が形成確立された時期とみなすことができる。

 

 

 

この時期に基本的な形が定まった「国体」とは何であったのか。若き北一輝が「国体論及び純正社会主義」に次の言葉を書きつけたのは、一九〇六年(明治三九)年のことであった。

 

 

此の日本と名付けられたる国土に於いて社会主義が唱導せらるるに当たりては特別に解釈せざるべからざる奇怪の或者が残る。即ち所謂「国体論」と称せらるる所のものにして、 ― 社会主義は国体に抵触するや否や ― と云ふ恐るべき問題なり。

 

 

 

是れ敢て社会主義のみに限らず、如何なる新思想の入り来る時にも必ず常に審問さるる所にして、此の「国体論」と云ふ羅馬(ローマ)法王の諱忌に触るることは即ち其の思想が絞殺さるる宣言なり。政論家も其れあるが為に其の自由なる舌を縛せられて専政治下の奴隷農奴の如く、其れあるが為に新聞記者は醜怪極まる便侫阿諛の幇間的文字を羅列して恥ぢず。

 

 

其れあるが為に大学教授より小学教師に至るまで凡ての倫理学説と道徳論とをき毀傷汚辱し、其れあるが為に基督教も仏教も各々堕落して偶像教となり以て交々他を個体に危険なりとして誹謗し排撃す。

 

 

これはまさしく鬼才にふさわしい透徹した認識であったと言えよう。(略)

 

 

あれほど熱心に近代化を推し進め、近代化の推進力として西洋のあらゆる文明・思想・宗教等々を導入することに熱心だった社会は、受け入れに際してたったひとつの、しかしきわめて重大な留保を伴っていた。

それが「国体に抵触しない限りにおいて」という留保である。

 

 

 

しかも厄介なことには、「国体」とは何であるのか、論者によって見解は一定せず、最大公約数的な定義をするならば、それはたかだか「天皇を中心とする政治秩序」というような抽象的な事柄を意味するにすぎない。

 

 

にもかかわらず、それは曖昧なままに、否むしろ曖昧さを利点として「思想を絞殺」した。(略)

 

 

▼ 近代的国家の成立 ― 「暴力の独占」が完成するまで

具体的過程を見てみよう。戊辰戦争(一八六八~六九年)を経て成立した明治政府にとって、イロハのイとなる課題は「暴力の独占」を実現することであった。(略)

 

 

 

マックス・ウェーバーの有力な定義によれば、「国家とは、ある一定の領域の内部で ― この「領域」という…が特徴なのだが ― 正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体」であり、このような「暴力の独占」が近代国家に特有の現象であることに、ウェーバーは注意を促している。(略)

 

 

 

新政府は、国民皆兵の理念に基づく徴兵制を敷くことによって近代国家の許で新しく組織された暴力によって士族反乱に対抗し、勝利する。一八七七年の最後にして最大の士族反乱たる西南戦争をもって、「暴力の独占」は完成したと見ることができる。」