読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ふしぎなキリスト教  6 イスラム教の方がリードしていた

「O すでに何度も話題になっていますが、イスラム教は、一神教の伝統の中では、最後に出てきたものです。(略)


非常に大づかみな印象ですが、僕には、キリスト教よりイスラム教の方が明快だし、首尾一貫性が高いように見えます。(略)


聖典に関しても、新約聖書には内部に不一致や矛盾が含まれているのに、クルアーンはそうしたことがない。(略)


ところで、近代化とは何か。ヴェーバーは合理化にその本質を見ましたよね。合理化(あるいは合理性)とは何かという哲学的な問題はさておき、とりあえずヴェーバーにならって、近代化とは様々な分野における合理化の過程だと考えてみます。


そうすると、イスラム教の方がキリスト教より合理化されているように見えるわけです。それなのに、どうして近代化においてはキリスト教カトリック)圏が主導権を握ったのか。


歴史を振り返れば、中世くらいまではイスラム圏のほうがカトリック世界よりもずっと先行していました。技術の面でも哲学や思想の面でも、たいていイスラム圏の方が先んじています。


中世の後半に、アリストテレスの哲学がイスラム圏からカトリック世界に言わば逆輸入されて、キリスト教神学の水準を大幅に引き上げたという事実など、イスラム圏がいかに先行していたかを示している。


逆転の兆しが出てくるのは十六世紀ごろ、つまり大航海の時代です。あるいは、宗教に即して言えば、宗教改革の頃です。


どうして、きわめて首尾一貫性が高く、合理的な宗教であるイスラム教が、しかも中世までは断然優位に立っていたイスラム教が、近代化の過程では、結局キリスト教に主導権を奪われてしまったのか。非常に不思議な感じがします。


H とても大事な点ですね。(略)


O 実際、信者の数ではイスラムの規模はすごいと思うんですよ。(略)


H (略)でも、最も根本的なところで、いちばん大事な点を取り出すとすれば、それはキリスト教徒が、自由に法律を作れる点だと思う。


O 律法がないようなものですからね。


H 宗教法(ユダヤ法でもイスラム法でも)の伝統では、法をつくる主体(立法者)は神なんです。(略)


キリスト教徒がなぜ自由に法律を作れるかと言うと、キリスト教会がそもそも法律をつくらないから。(略)


じゃあ、ゲルマン慣習法があるから、ゲルマン慣習法を守りましょう。イギリスのコモン・ローを守りましょう。そういう法律が時代遅れになった。じゃあ、自分たちで新しい法律を作りましょう。

代表が議会に集まって、立法をしましょう。ということで、議会制民主主義が始まった。
社会が近代化できるかどうかの大きなカギは、自由に新しい法律をつくれるか、です。
キリスト教社会はこれができた。(略)


新大陸の発見は、大航海時代をもたらした。でも、大航海と言えば、中国人だってイスラム教徒だって、航海の能力を持っていた。問題は、航海の能力ではなく、新大陸に移住する動機を持っていたかどうかです。


なぜキリスト教徒だけが、新大陸に大挙移住したか。それは、旧大陸でいじめられたから。宗教改革は、キリスト教にふたたび亀裂をうみ、不寛容と宗教戦争を引き起こした。(略)


旧大陸でそこそこ安楽な暮らしが出来れば、誰が好き好んで新大陸に行きますか?
だから中国人もインド人もアラビア人も、新大陸に向かう積極的な動機を持たなかった。キリスト教徒だけがその動機を持ったのです。」