読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 下

「そして、その帰結として、「精神の王国が…現実の生活において顕現し」、「この世」に「体現される」からである。そうなれば、歴史の過程はもはや偶然ではなく、
人間界ももはや意味を欠いた空虚なものではなくなる。」


ヘーゲルは、「意志の自由”それ自体”[すなわち、意志が必然的に意志する自由]…がそれだけで絶対的である。…意志の自由は、人間がそれによって人間となるところのものであり、だから、精神の根本的な原理なのである」、と言うのである。」


ヘーゲルにとっては、哲学は、「永遠に真なるものに係わるのであって、昨日や明日に係わるのではなく、現在それ自身に、絶対的な現在という意味での「今」に係わる」がゆえに、また、精神が思考する自我にとっては「今そのもの」であるがゆえに、哲学は、思考する自我と意志する自我との葛藤を和解させなくてはならないのである。」


ヘーゲルが、思考と意志という二つの精神的な活動と、両者が持っている互いに対立する時間概念とをうまく宥和させることに結局は失敗したのは、私には明らかであるように思われる。」


「「この円環的な時間概念は、我々が見たように、完全に古代ギリシア哲学に一致する。ところが、古代以降の哲学は、行為するための精神的な主要因として意志を発見し、直線的な時間概念を求めたのであり、これなくしては、進歩も考えられないであろう。」


「人類に体現されたこの世界精神は、個人や特定の民族とは異なるものとして、諸世代が継起する中で受け継がれる直線的運動を追求するのである。(略)

こうして「一切を再び新たに始める」のだが、「より高次のレヴェルにおいて開始する」。というのも、人間であり、精神、すなわち、記憶を付与されているがゆえに、
新しい世代は[以前の]経験を保存している」からである。」


フランス革命によって「理想」=「そうあるべきもの」=「真理」が現実のものになると信じられたことは、西洋人にとって、とても大きなことだっただろうと思う。

西洋のみならず、私たちにとっても、その恩恵は計り知れない。

ただ、問題は、ここで語られる「理想」や「そうあるべきこと」や「真理」は誰のものなのか、ということだろう。

知的レベルの高い、生活が豊かな貴族階級の人々が生み出したもののように見える。

多分、それは本当に人間にとって価値ある理想であり真理だと思う。

でも、それを理解しない人、理解できない人、そんなことはどうでも良い人、は大勢いて、その人たちにとっての「そうあるべきこと」ではない可能性もあるから、
とても困る。