読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(死のリフレイン)

「私はしばらく川面を見ていた。そのときである。かすかに吹く風に乗って、どこからともなくあのメロディが流れて来た。私は聞き耳を立てた。それは確かに聞いたことのない曲であった。不気味な川の面とこの曲が、何やら強い不安感となって私に迫り、言うに言われぬある種の気配を闇の中に感じた。E曹長も同じらしかった。



「だれか!」抑えた鋭いE曹長の声、闇の中にふっと動く人影、咄嗟に身構えて拳銃に手をやったとき「どこの部隊だ」という声が返って来た。「U支隊の砲兵隊だ……」「なに。砲兵隊?すぐもどれ」「もどれと、どこへ!」「司令部の青木参謀の指示だ。バガオにはすでに敵が入った。サンホセ盆地を目指している各部隊はすぐに、丁号道路の出口まで行き、そこから東に入る伐開路を進んで、青木参謀の指揮下に入れ」



そこまで一気に言ってから、相手は私が将校であることに気づいたらしく、急に言葉が丁寧になり、説明調になった。そこにいたのは警備隊の曹長と兵一、つまり二名であった。(略)




この二人もその一員、そして後続部隊が、敵に占領されたとは知らずにバガオにとびこんでしまわぬよう、青木参謀の命令で連絡下士としてここに残っていたのだと言う。「全くわけがわからん」これが私の第一印象であった。というのは、私たちが必死の強行軍をつづけて来た道を、彼らは逆行するのだと言う。これでは潰乱状態を通り越してパニックそのもの、各小部隊がわけもわからずただ右往左王し、どの部隊がだれの指揮を受けているのかさえ、もうわからない。



支隊に配属されたわれわれは、指揮系統からいっても師団司令部の青木参謀の指示に従うわけにはいかないし、第一、指揮班と砲弾がすでにサンホセ盆地に入っているのに、砲だけここで方向を転ずるわけにはいかない。と同時に私は、彼の言葉を信用しかねた。


というのは、「負け戦さ」ではすべてが「水鳥の羽音」になり、誇大な情報に人々は右往左往する。この強行軍の途中でも、自分たちを追い越していくさまざまの他部隊から情報を得たが、それらはことごとく誇大であり、全部が”大震災のデマ”に等しかった。


「バガオの火の手におびえ、敵が突入したと誤認したんだろう。司令部の連中は大体そんなところだ。第一、全然砲声がしなかったのに、そんなバカなことがあるものか」と私は考えた。そしてきいた。「バガオに敵が突入したことを確認したのか?」これに対する返事はすこぶるあいまいで、ただ、いま述べたような指示を青木参謀から受けただけだという。(略)




「少尉殿、一応、バガオ道を偵察してまいりましょう」E曹長も、闇をすかしてずっと前方を見ながら言う。(略)


「待て」私は言った。「時間があるまい」。二人は黙った。(略)


それは時間的に見れば不可能と見るべきではないか。だが無偵察でつっこむのは無謀。とすれば、時間をかせぐ法はただ一つ、どれくらい時間がかかるか予測のつかない渡河の時間を短縮する以外にない_それは一門を捨てることだ。サンホセ盆地にかつぎ込んだ砲弾は、全部無事についてもせいぜい一二〇発のはず。



もし、米軍の近接を恐れて青木参謀の指示に藉口してここで反転すれば、ビダグの砲兵は、砲弾あって砲なき砲兵になり、同時にわれわれは砲あって砲弾なき砲兵になる。また無理をして二門を運ぼうとして失敗すれば、同じ結果を招来してさらに全員完全に全滅するであろう。一二〇発なら、一門だけが確実にサンホセ盆地に到着する道を選ぶべきではないか_。



二人が考えていることはおそらく同じであった。だが巻頭に勅語を掲げた「砲兵操典」に「死生栄辱ヲ共ニシ」「火砲ト運命ヲ共ニスベシ」と明記され、「砲側即墓場」が標語であり、砲を放棄して責任者が自決を強要されたさまざまな物語がある帝国陸軍では、以上のような合理的決断を下すのに、異常な決心が必要であった。



曹長は明らかに、その決断を私に求めかねていた。「かまわん、一門を捨てよう。オレがすでにアパリ正面で四門を破壊してきたのだから…」と思った瞬間、戦慄が火のように体を走った。



「あれは、だれの命令だったのか……。出発のあの多忙さにまぎれて砲の破壊という重要問題で、オレは筆記命令をもらっていなかった…」




「E曹長、二門とも分離せエ、一門は臂力搬送の準備、一門は川にぶち込め!ワシが責任をもつ」。彼は返事をしなかった。しかし闇夜にもわかるはっきりした態度で、模範的な不動の姿勢をとると、全身に緊張をみなぎらせ、黙ったまま私に敬礼した。



「偵察はワシが行く」何か言おうとするE曹長を押しとどめて私は言った。「山砲の操作の細かい点はワシは知らん。E曹長が指揮してくれ。不測の事故が起こったと思ったら、あとの処置はたのむ」「ハイ」彼の答えはただその一言であった。」