読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス(下)(第8章 研究室の時限爆弾)

「もし哲学が実地に試されている所を見たければ、ロボラットの研究室を訪ねるといい。ロボラットはありきたりのラットに一工夫加えたもので、脳の感覚野と報酬領域に電極を埋め込まれている。そのおかげで、科学者はリモートコントロールでラットを好きなように動かせる。

 

 

 

彼らはラットに短時間の訓練をさせてから、右や左に曲がらせるだけではなく、梯子を上らせたり、生ゴミの山の臭いを嗅ぎ回らせたり、極端に高い場所から飛び降りるといった、普段はラットが嫌うことをやらせたりするのに成功した。(略)

 

 

動物福祉活動家は、そのような実験がラットに与える苦しみに対する懸念を表明してきた。ところが、ロボラット研究を先導する研究者の一人である、ニューヨーク州立大学のサンジヴ・タルワー教授は、じつはラットは実験を楽しんでいると主張して、そうした懸念を退ける。なにしろラットは「快感のために作業をする」のであり、脳の報酬中枢を電極で刺激されると「ラットは極楽の気分を覚える」から、とタルワーは説明する。

 

 

 

私たちの理解の及ぶ限りでは、ラットは自分が誰かに制御されているとは感じていないし、自分の意志に反して何かをすることを強要されているとも感じていない。(略)ホモ・サピエンスに行われた実権は、人間もラットを同じように操作でき、愛情や恐れや憂鬱といった複雑な感情さえも、脳の適切な場所を刺激すれば生み出したり消し去ったりできることを示している。

 

 

 

アメリカ軍は最近、人間の脳にコンピューターチップを埋め込む実験を始めた。この方法を使って心的外傷後ストレス障害に苦しむ兵士を治療できればと望んでのことだ。エルサレムのハダサ病院では医師たちが、深刻なうつ病で苦しむ患者の斬新な治療法の開発に取り組んでいる。

 

 

患者の脳に電極を埋め込み、胸に埋め込んだ極小のコンピューターとつなぐ。コンピューターからの命令を受け取ると、電極は微弱な電流を流し、うつを引き起こしている脳領域を麻痺させる。この治療法はいつもうまくいくわけではないが、これまでずっと悩まされてきた暗い空虚な気持ちが魔法のように消えて無くなったと患者が報告する場合もあった。(略)

 

 

アメリカ軍は、訓練と実戦の両方で兵士の集中力を研ぎ澄まし、任務追行能力を高めることを期待してそのようなヘルメットの実験を行っている。主な実験を実施しているのは人間有効性局(Human Effectiveness Directorate)で、オハイオ州の空軍基地にある組織だ。結果は決定的と言うにはほど遠いし、実際の成果をんが得ると、経頭蓋刺激装置の今のもてはやされぶりは先走りも甚だしいが、この方法でドローン操縦士や航空管制官や狙撃兵をはじめ、長時間にわたって高度の注意力を維持する必要のある任務についている人員の認知能力を実際に高め得るという研究結果もいくつか出ている。

 

 

 

 

「ニューサイエンティスト」誌の記者サリー・アディ―は、狙撃兵の訓練施設を訪れて自ら効果を試すことを許された。(略)この実験のせいでサリーの人生が変わった。その後の数日で、彼女は自分が「スピリチュアルなものに近い体験」をしたことに気づいた。「その経験の特徴は、自分が前より賢くなったと感じたり、物覚えが良くなったりするというものではなかった。

 

 

 

愕然としたのは、生まれて初めて、頭の中の何もかもが、ついに口をつぐんだことだった……自己不信と無縁の自分の脳というのは新発見だった。頭の中が突然、信じられないほど静まり返った……この経験後の数週間というもの、いちばんやりたくてしかたなかったのは、あそこに戻ってもう一度電極を付ける事だったと言ったら、共感してもらえるといいのだが。(略)」これらの声の中には、社会の偏見を復唱するものも、自分の個人史を反映するものも、遺伝的に受け継いだものをはっきり表現するものもある。

 

 

 

それらがすべて合わさって目に見えない物語を生み出し、私たちの意識的決定を、自分ではめったに把握できない形で方向付ける、とサリーは言う。もし、私たちが内なる独白を書き直すことができたら、あるいは、そのような独白をときどき完全に黙らせることさえできたら、いったいどうなるのだろう?

二〇一六年現在、経頭蓋刺激装置はまだその揺籃期にあり、成熟したテクノロジーになるのか、なるとすればそれはいつかは定かではない。(略)

 

 

頭の中の声を黙らせたり大きくしたりする能力は、じつは自由意志を損なうどころか強化する、と反論する人がいるかもしれない。(略)ところが、ほどなく見るように、自分には単一の自己があり、したがって、自分の真の欲望と他人の声を区別できるという考え方もまた、自由主義の神話にすぎず、最新の科学研究にて偽りであることが暴かれた。

 

 

 

どの自己が私なのか?

 

科学は、自由意志があるという自由主義の信念を崩すだけではなく、個人主義の信念も揺るがせる。自由主義者たちは、私たちには単一の、分割不能の自己があると信じている。(略)それなのに、もし私が本当に注意を払って自己を知ろうと努めれば、人文の奥底に、単一で明確な本物の声を必ず発見できるはずで、それが私の真の自己であり、この世界のあらゆる意味と権威の源泉なのだ。

 

 

自由主義が理に適うものであるためには、私には一つ、ただ一つの真の自己がなくてはならない。(略)

ところが生命科学は過去数十年のうちに、この自由主義の物語がただの神話でしかないという結論に達した。単一の本物の自己が実在するというのには、不滅の魂やサンタクロースや復活祭のウサギ(訳註 復活祭に子どもたちにプレゼントを持ってくるとされるウサギ)が実在するというのと同じ程度の信憑性しかない。(略)

 

 

 

これらのいわゆる分離脳患者の研究のうち、とりわけ注目するべきいくつかを行なったのが、革新的な発見を認められて一九八一年にノーベル生理学・医学賞を受賞したロジャー・ウォルコット・スペリー教授と、その教え子のマイケル・S/ガザニガ教授だ。(略)別の実験でガザニガのチームは、発話を司る脳の左半球にニワトリの足先の絵を瞬間的に見せると同時に、右脳には雪景色の画像を一瞬見せた。

 

 

何が見えたかと訊かれたPSという患者は「ニワトリの足先」と答えた。それからガザニガは、絵の描かれたカードを何枚もPSに見せ、自分が目にした絵と一番よく合っているものを指さすように言った。患者の右手(左脳に制御されている)はニワトリの絵を指さしたが、同時に左手がさっと伸びて除雪用のシャベルを指さした。

 

 

それからガザニガは当然の疑問を投げかけた。「なぜニワトリとシャベルの両方を指さしたのですか?」するとPSはこう答えた。「ああ、ニワトリの足はニワトリと関係があるし、ニワトリ小屋を掃除するのにシャベルが必要だからです」

 

 

いったい何が起こっていたのだろう?発話を制御する左脳は雪景色についてのデータは持っていなかったので、左手がシャベルを指さし多理由が本当はわからなかった。だからもっともらしい話をさっさとでっち上げたのだ。

 

 

 

ガザニガはこの実験を何度も繰り返した後、脳の左半球は言語能力の座であるばかりではなく、内なる解釈者の座でもあり、この解釈者が絶えず人生の意味を理解しようとし、部分的な手がかりを使ってまことしやかな物語を考え出すのだと結論した。(略)

 

 

 

これは、アメリカのCIAが国務省の知らないうちにパキスタンでドローン攻撃を行うようなものだ。それについてジャーナリストが国務省の雨人たちを問い詰めると、彼らはいかにもありそうな説明をしておく。実際には、メディア担当の情報操作の専門家たちは、攻撃が命令された理由については手がかりすらないので、とりあえずは何かそれらしい話を勝手に考えるのだ。

 

 

同じようなメカニズムを、分離脳患者たちだけではなくすべての人間が利用している。私の国務省が知りもしなければ承諾もしないうちに、私のCIAが何度となく物事を行ない、それから私が一番よく見えるような話を国務省がでっちあげるわけだ。そして、国務省自体も、自分が考え出したまったくの空想を固く信じるようになる。」