読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「コマーシャル
なれっこになってしまうと、最初なら驚いたものに平気になる者です。
企業社会が私たちに及ぼしている力がそうです。からめとられているのに、しばられている感じがありません。



一億何千万もの国民を一人残らずからめるような網があるでしょうか。
あります。テレビというネットワークです。テレビのない家庭はないでしょう。赤ちゃんから老人まで、テレビをみたい家族はいないでしょう。


NHK以外のたくさんの民法は、企業のコマーシャルでまかなわれています。コマーシャルに顔を出さない大企業は、まずないでしょう。企業は作ったものをコマーシャルにのせます。


コマーシャルは映画監督や詩人や俳優やスポーツ選手をつかって、見ている人を買いたくなるような気にさせます。人間の歴史の中で、これほど誘惑が洗練された時代は、ありません。



コマーシャルがあるから、たくさん商品を作って、たくさん売ることが出来るのです。
今まで買わなかった人に、買わせるようにさせたから、高度成長だの、内需拡大だのが出来たのです。いままで買わなかったのは、そんなものがなくても生きていけたからです。
生活に不必要なものを買わせるようにするのが、コマーシャルです。


ファッション商品、国内観光、海外旅行、リゾート遊び、どれも、それがなくては生きていけないものでありません。



コマーシャルは国民の生活を変えました。
だが企業の力は、私たちの生活だけでなく、精神にも及んでいます。民法はコマーシャルを出してくれる企業のおかげで生きているのですから、企業のごきげんを損ねることは出来ません。


どんないい番組をつくっても、企業がスポンサーになってくれないと放映できません。
検閲をしてはいけない、と憲法は言っていますが、企業が番組を選ぶのは、営業の自由です。日本の企業を動かしている幹部は、日本のしきたりを大事にし、しきたりに寄り掛かっている人たちです。日本のしきたりはよろしくないという人の講演やしきたりを変えようというようなドラマには、スポンサーになりません。


敗戦によって、臣民から自由な個人になったことに、企業社会は目をつぶっています。
敗戦によって、日本は変わったことを、忘れさせるような番組は、いくらでも放映されます。
それですから、毎日、窓をあけるようにテレビをつけておくと、まるで戦争や原爆など、なかったかのような気持ちになってしまいます。



きのう日が沈み、今日また日が昇る如く、安穏な毎日が永久につづいて、今の世の中を変えようなどと言う気を起こさせなくするのも企業の力です。」


〇 戦争を体験し、敗戦によって平和になった経過を知っている人々は、ただ、黙ってその日々を過ごしていてはいけないような気分になるのだろうなぁ、と思いながら読みました。でも、その経緯を知らない人間は、山本氏にしろ、福田氏にしろ、この松田氏にしろ、問題点を叫ぶ気持ちはわかるような気がしますが、心から共感するということが出来ません。


何か、時代錯誤のように感じてしまいます。
ずっと私はそうでした。
小さな言葉尻を捉えて、陰謀や策略の怖れを叫ぶ共産党の人々の言葉を聞きながら、
反対の為の反対に感じていました。

でも、そんな時間を過ごして、今があります。
そして、今、共産党の人々が言っていたことが、本当だったと、
わかりました。
こんな時代が来るなんて、考えもしませんでした。