〇 ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス(下)」を読み始めました。
「サピエンス全史」を読んだ時と同様、図書館に予約し、自分の順番が来て、借りられたのが、下巻からなのです。
本当は、上巻から読みたいのですが、かなりの期間待って、やっと借りられたので、今回も、このまま下巻から読みたいと思います。
先ず、上巻の目次をメモしておきます。
「【上巻目次】
第1章 人類が新たに取り組むべきこと
第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する
第2章 人新世
第3章 人間の輝き
第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第4章 物語の語り手
第5章 科学と宗教というおかしな夫婦
以上 」
〇ここからが、下巻です。
「第6章 現代の契約
現代というものは取り決めだ。私たちはみな、生まれた日にこの取り決めを結び、死を迎える日までそれに人生を統制される。この取り決めを撤回したり、その法(のり)を越えたりできる人はほとんどいない。この取り決めが私たちの食べ物や仕事や夢を定め、住む場所や愛する相手や死に方を決める。(略)
近代に入るまで、ほとんどの文化では、人間は何らかの宇宙の構想の中で役割を担っていると信じられていた。その構想は全能の神あるいは自然の永遠の摂理の手になるもので、人類には変えられなかった。この宇宙の構想は人間の命に意味を与えてくれたが、同時に、人間の力を制限した。人間はちょうど、舞台上の訳者のようなものだった。(略)
現代の文化は、宇宙の構想をこのように信じることを拒む。私たちは、どんな壮大なドラマの役者でもない。人生には脚本もなければ、脚本家も監督も演出家もしないし、意味もない。私たちの科学的な理解の及ぶかぎりにおいて、宇宙は盲目で目的のないプロセスであり、響きと怒りに満ちているが、何一つ意味はない[訳註 「響きと怒りに…」はシェイクスピアの「マクベス」の有名な台詞の転用]。(略)
このように、現代の取り決めは、人間に途方もない誘惑を、桁外れの脅威と抱き合わせで提供する。私たちは全能を目前にしていて、もう少しでそれに手が届くのだが、足下には完全なる無という深淵がぽっかり口を開けている。(略)
本章では、現代における力の追及を取り上げる。次章では、人類がしだいに大きくなる力をどのように使って、宇宙の無限の空虚さの中になんんとか再び意味をこっそり持ち込もうとしてきたかを考察する。たしかに私たち現代人は力と引き換えに意味を捨てることを約束したが、その約束を守らせるものはこの世に存在しない。私たちは、代償を払わずに現代の取り決めの恩恵をそっくり享受できるほど自分が賢いとばかり思っている。」
〇 上巻を読んでいないので、はっきりとは言えないのですが、ここまで読んで、この本は、あの「サピエンス全史」のあとがきにあった、「自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」という問題について、より詳しく考察しているのだと感じました。