町田康著「告白」を読んでいます。
新聞に連載された時の挿し絵と共に、とても好きな小説でした。
またいつか読み返そうと思っていたので、楽しみにしていたのですが、
でも、最近は少し心配事があり、あまり読書という気分じゃありません。
そんな中で読むせいか、以前読んだ時とはまた違う印象があります。
「しかし熊太郎は自分は一種のフェイクでいつか本当の真実真正の
喧嘩をしたら自分が弱いことが露見してしまうだろうと考えていた。」
私は女ということで、喧嘩の強さを問題に感じたことはありませんが、
独楽回しの一件のような、「出来る・出来ない」で、
虚勢を張りたくなる気持ちは、本当に身につまされてわかります。
そして、なんとか「出来る人」という評価を勝ち得たら、
今度はそのフェイクを見破られることへの恐れに苦しむ…。
まるで、自分のことを言われているようでした。
というより、人間という動物は多分みんなそんな風にして
育つのだろうなぁと、この年になると、思うようになりました。
私の場合、子ども時代は、辛かったなぁと思います。
普通なら、子ども時代は幸せいっぱい、夢いっぱいなんでしょうけど、
なぜか私はそんなヒリヒリする体験ばかりが思い出に残っている
子どもでした。
大人になるにしたがって、だんだん、そんなことはみな、「普通のこと」で、
私が特別悪人なわけじゃない、と思うようになり、
楽になって来ました。
そんなことを思い出しながら読んでいます。