読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本はなぜ敗れるのか _敗因21か条

「翌日午後一時、乗船が開始された。もう疑念の生ずる余地はなく、船艙の割り当ては一坪十四人であった。もっとも船艙はいわゆるカイコ棚式に二段になっており、従って、一段ずつ数えれば一坪七人である。ただその高さはやっと胸までの二段であり、従って、ひとたび船艙に入れば、その人は、直立することはできない。(略)


夕刻までに乗船を完了せよといわれても、この速度ではどうにもならない。便所の列の切れ目から桟橋を見れば、しとしと降る雨の中に、驚くべき人数が整列したまま静かにたたずんでおり、一向に減ったという感じがない。「あれが全部夕方までに乗るのか、乗ったら一体どうなるであろう」、考えただけで、頭が変になってくる感じであった。


私は船艙に降りた。ぎっしり積載された人間の吐き出す一種の暈気ともいうべきものが充満し、空気が濃密になり、臭気の立ち込めた蒸し風呂といった感じである。湿度百パーセントで、船艙の鉄板の天井から絶えず水滴が落ちる。(略)誇張でなく息がつまる。カイコ棚に押し込まれた人間の、うるんだように光る眼が一斉にこちらを向く。」


「すべての人間は思考力を失っていた。否、それは、思考を停止しなければ、できない作業であった。人がまるでコンベアに載せられた荷物のように、順次に切れ目なく船艙に積み込まれ、押し込まれてぎっしりと並べられていく。

そうやって積み込んだ船に魚雷が一発当たれば、今そこにいる全員が十五秒で死んでしまう_。この悲劇は、架空の物語でなく現実に大規模に続行され、最後の最後まで、ということは日本の船舶が実質的にゼロになるまで機械的につづけられ、ゼロになってはじめて終わったのであった。」


「そしてこの「押し込み率」は、その計算の基礎は「私の中の日本軍」で記したから再説しないが、ナチの収容所の中で最悪と言われたラヴェンスブリュック収容所の中の、そのまた最悪といわれた狂人房のスペースと同じなのである。おそらくこれは、これ以上詰め込んだら人間が死んでしまうぎりぎりの限界である。


アウシュヴィッツの写真を見る。確かに悲惨であり、あれもカイコ棚である。しかしあのカイコ棚には、寝るだけのスペースはあった。船にはガス室はあるまい、と言われれば確かにその通りだが、しかし、この船に魚雷があたったときの大量殺戮の能率_三千人を十五秒_は、アウシュヴィッツの一人一分二十秒とは比較にならぬ高能率である。

でも、魚雷はガス室ほど確実に来るわけではない、という人もあるかもしれない。しかし、もう一度言う。では何隻の船が終戦時に残っていたのかと。結局すべての船が、早かれ遅かれ、最終的には、世界史上最大能率の大量溺殺機械として、活用されただけである。


一体、この船艙に詰め込まれたことと、ガス室に詰め込まれたことと、実際に、どれだけの差があるであろう。両者とも、身動きは出来ず、抵抗の能力はなく、ただ、死が来るのを待っている。

差があるとすれば、一方はコックをひねられればおしまい、一方は雷跡が見えればおしまい、という差だけではないか_。

アウシュヴィッツといえば人は身震いをする。しかし、小松氏が「バアーシー海峡」の名を挙げても、人は、何の反応も示すまい。理由は何であろう。アウシュヴィッツの犯蹟は明らかになった。多くの写真が公表され、多くの記事が書かれた。同じことは「収容所群島」にもいえる。


しかしバシー海峡は何も残していない。海がすべてを呑みこみ、一切を消し、人々はこの海峡の悲劇だけでなく、この海峡の名すら忘れてしまった。従って、敗因第「一五」を人は奇妙に思うのも不思議でないかもしれぬ。

しかし奇妙に思うこと自体が、今に至るまで、真実は何一つ語られていないことの、決定的な証拠ではないのか。」