読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

「おかしな話だが、米軍将校は私を芸術家と誤認していた。事実誤認は先方の勝手だし、誤認に基づいてタバコや缶詰という報酬をくれるなら、別に断る理由はあるまい、また極端な栄養失調状態から来るこちらの放心と無気力と怠惰を、芸術家のメイ想だと勝手にご誤解して放置してくれるなら、それも大変に有難いことだと思っていた。(略)



彼らは将校クラブなどで、自分の入手したゲイジュツ品を自慢気に見せびらかしていたらしく、これが、しまいには下士官・兵にまで伝染して来て、捕虜のゲイジュツ家を見ればすぐさま、「宝石箱をつくってくれ(メイク・ミー・ジュウリィ・ボックス)」を繰り返して密かに報酬を押し付ける者まで現れた。



その風潮が、私まで芸術家と誤認された背景だが、この有難き誤認を維持するため、水牛の置物の製作やら宝石箱の蓋の細工やらを少しはやっていた。
利点はそれだけではなかった。「慮人日記」にも記されている収容所内の暴力団支配から、全く自由だったことも余得であった。



まことに奇妙な話だが、米軍の指導下での民主的自治管理機構と平等な衣食住の支給は、収容所内に平和をもたらさず、逆に暴力支配を生み出したのである。そして暴力による恐怖政治が行われると、あらゆる秩序は完全に確立するが、一方、みな息をひそめて暮らしている。



それが全員、ジャングル戦生き残りの”勇士”だから不思議である。そして米軍の手入で暴力団が一掃されると、人々はその”解放”を大喜びするのだが、すぐさま秩序にガタがくる。この、旧軍隊の私的制裁から収容所の暴力支配、さらに内ゲバ、リンチ、虐殺の森、鉄パイプによる殺し合いに至る暴力支配の系譜は、実に大きな問題だが、今回はその事実を指摘するにとどめよう。いずれにしても、彼らは、米軍人と特別な関係にある”ゲイジュツ家”には手を出さなかった。



従って通勤とは言え、徹底した三ズ主義「遅レズ、休マズ、働カズ」、無束縛でヤミ報酬があり、しかも暴力団から安全なのだから通勤自体は決していやではない。しかし行先が俗にいう「将官幕舎」であることが気が重かった。



もっとも将官とは元来は雲上人であって、終戦の十一カ月前に少尉になった下っ端の私とは無関係な存在なのだが、実は私は、奇妙な縁で師団長とは面識があった。これは一つには師団長が砲兵出身なので、参謀たちが、砲兵隊に関する決裁をしたがらず、


細かいことまで「砲兵隊は閣下の所轄じゃ」などといって私を師団長へまわしてしまったこと、もう一つは師団長がやはり砲兵の運用には自信と関心があり、「直接ワシが指導してやる」といった気持ちがあったらしく、「連絡将校が来たら、必ずわしのところへ寄こせ」と言っていたためであったらしい。(略)



とはいえ、私はこの師団長に悪感情をもったことは一度もなかった。否、むしろ好感を抱いていた。一言でいえば、この師団長は、階級を考えねば、本当にまじめな良い人であった。



人間の性格が幼児に決まるものなら、同じ軍人という鋳型にはめこまれても、各々、千差万別であって当然である。ただ問題は、他の社会また他の時期なら、異常性格者として、当然に指導者になりえなかったと思われる人物が、日本軍のゆえにまた戦争と言う異常状態のゆえに、指導者となりえたという点にあったであろう




高木俊朗氏が描くアキャブ正面の花谷師団長は、だれが見ても正常な人間ではない。これは辻政信参謀にも言える。そしてこのタイプは、多くの兵団の中枢部に一人か二人いて、不思議なことにその人間がイニシアティブをとる。問題はそういう人間がいることよりも、なぜそのタイプが実質的に主導権を確保してしまうかにあった。

〇 私がずっとなぜなのか…と思っているのもそのことです。昔は日本人は愚かでバカだったのだ、と思っていました。でも、現在の日本人は?
経済大国を成し遂げ、ノーベル賞の受賞者をたくさん出しているこの国で、ここで挙げられているような「正常とは思えない」人間が政治を牛耳っている。何故あんなにも、スキャンダル続出で、犯罪者であることが明らかな安倍政権の面々が今も、政権にあり続けていられるのでしょうか。