「改めていうまでもないが、禅の本分は、物自体、あるいは自我の本源、あるいは自心源、あるいは本有の性、あるいは本来の面目、あるいは祖師西来意、あるいは仏性、あるいは聴法低の人、あるいは無位の真人など、さまざまの名目はあるが、つまりは自分自身…
「<現代世界と禅の精神 1961年> 昔からよく、座禅すると、胆がすわるとか、気が落ち着くとか、物事におじぬなどと言うたものである。禅そのものは、そんなところに、ぐずぐずしていないのだが、修禅の物理的面とか、医学的、生理的作用とかいう所から…
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