読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

東洋的な見方

「<現代世界と禅の精神  1961年> 昔からよく、座禅すると、胆がすわるとか、気が落ち着くとか、物事におじぬなどと言うたものである。禅そのものは、そんなところに、ぐずぐずしていないのだが、修禅の物理的面とか、医学的、生理的作用とかいう所から見れば、そのようなサイコ・ソマチック(心身相関)な面はたしかにある。

ただ結跏趺坐するだけでもいけない。何か心に集注の一点がなくてはならぬ。それは単に呼吸を数える事でもよい。何か陀羅尼的なものを考えてもよい。


それからまた観想的修練をやってもよい。霊性的練習(スピリチュアル・エクササイズ)をやってもよい。内的祈祷(インナー・プレーヤー)をやってもよい。公安を提撕してもよい。念仏念神、また可なりである。

心を虚にして外来の刺激に応じない工夫をするのが、修禅の第一歩である。」

〇以前も書きましたが、青春期、私は本当に暗い人間で、苦しかった。その時期、これも、本で読んだのだったか…「ただ黙って座ってみてごらんなさい。普通の人はなかなか座っていられないものですよ。」なんてことを言われたことがありました。

ただ、黙って座っているくらい、誰だってできるだろう…と、やってみました。

ところが、やってみると、それが出来なかった…(>_<)

何か、自分はしなければならないことがあるような…
こんなことはしていられない…みたいな、落ち着かない気持ちが起こってきて、
なかなか、何もせず、座っている、ってことが出来なかった経験があります。

そして、先日のあの「心と脳の白熱教室」の中でも、(あれは確か、自分を抑えられないタイプの人が自分を変えるためにはどうすればよいか…という話の中で)
「ただ静かに呼吸を数える時間を持つ…」毎日、何分かずつでもそれを続けると良い、というような話がありました。(記憶力が悪いので、少し違ってるかもしれませんが。)


禅ではなくても、宗教は、念仏を唱えたり、キリスト教なら祈ったり、案外、昔から
それに近いことはしていたのかもしれません。
そして、結果として、静かにいつもの生活から離れた時間を持っていたのかもしれません。