読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 上

○一応頑張って読んではいるのですが、本当にほとんど理解できていません。
というのも、おそらく哲学の知識やいわゆる一般教養がない人間が読むべきでは
ない本なのだと思います(^^;。

ライプニッツだとかドゥンス・スコトぅス、アリストテレス等々、様々な人びとの
言葉が出てきて、ただただ「へぇ~」と読んでるだけでは、ダメなんだろうな、と
感じます。

でも、何故それでも、読んでるのかというと、このアーレントさんが、「思考」に
ついて一生懸命に考えているのがわかって、その考える姿を見てる(読んでる)
のが心地よいのだと思います。

わからないまま、それでも2~3ヶ所、心に引っかかった言葉を材料に、時々自分の
思ったことも書いていきたいと思います。

「真理は必然性の力で強制してくるが、これは暴力の力よりもはるかに強力な
ものであるということは、古代ギリシア哲学において古くから言われている
トポスである。

これは、必然の抗いがたい力で人間に強制することができる真理をいつでも賛美
しようとするための言葉である。」

「同じ考えに基づいて、グロティウスは「神といえども二×二が四にならないという
ことを生じさせることはできない」

○これは、よく言われる「ペンは剣よりも強し」という言葉と同じ意味だと
思うのですが、私たちの国では、「白いものも黒になる」という一般常識の方が
「強制力」を持っています。

それが何故なんだろうと、ずっと思っていました。
昔は「昔の人は教育もなく、無知だったから、そんなばかげた常識がまかり通って
しまったんだろう。」と思っていました。

でも、この年になり、今や日本の総理大臣が、数々の犯罪的行為を
平然と行ない、しかもそれに絡んでいる幾人かの人びとを平気で自分の
都合の良いように扱う傍若無人ぶりを見せ付けられるに及び、

これは、昔の話ではない。今の日本人も立派に「白いものも黒になる」世界に
生きているのだ、と感じています。

しかもです!!ノーベル賞受賞者も大勢いるこの知的レベルの高い日本で、
そのような総理大臣に「あなたは間違っている」と言える人がいないなんて、
信じられません。

「真理には強制力がある」

「たとえ神であっても、2×2=4ではないとはいえない。」

という強制力が働かないのは何故なのか。

多分、真理を真理と認識する習慣がないのだと思います。
そして、2×2=4という計算ができないふりをする人が多いのだと思います。

もしくは…
これは考えたくもないのですが、私たち日本国民は本当は真理を真理と認識する
能力や、2×2=4の計算能力が低い人が多いのでしょうか。

しっかり考えれば当然行き着くはずの、「犯罪者は処罰されるのが当然」という
「真理」「道理」が何故追行されないのか…

私は何故私たち国民はこうなのか…

何故なのか…何故なのか…何故なのか…

考えてしまいます。