「これまでスケッチ風の断片的な叙述をして、私はそれをおこがましくも意志の歴史だと宣言してきた。ところが、この叙述については、最後に何世紀にも及ぶ最大の飛躍をすることが必要であることを、この考察の最終部分に向かう前に述べてみたい。」
「この数世紀間のもっとも決定的な展開は、形而上学的思考の主観化であると同時に認識する思考の主観化にあった。
ここ数世紀になってはじめて、人間が哲学にとっての関心の中心であるとともに、科学にとっての関心の中心となった。」
「科学によって、人間の感覚が誤りを免れないし、誤りを新しい証拠を持ちだして正してのみ、「真理」を明らかにできるのだということが明らかになっただけでなく、人間の感覚が自明な確実性には永遠に到達しないことも明らかになった。
そうしてはじめて、人間精神は今やまったく自分自身に立ち戻ることになって、デカルトと共に純粋な意識の事実である「確実性」を探し求め始めたのだった。
ニーチェが近代を「懐疑の学校」と呼んだ時、彼が言おうとしたのは、少なくともデカルト以降、人間にはもはや何事も、現実の存在すら確実ではない、つまり神の存在ばかりでなく自分自身の存在も証明を必要としているということであった。
<私が存在すること>の確実性がどこに見いだされたかというと、デカルトの”私が考えるのを考える”の中にであった。」
「(ドイツ観念論と概念の虹の架け橋) もう少し散文的な表現で言えば、哲学者たちに「現代における哲学の新しさは、我々が真理を所有していないという、以前のどんな時代にもなかった確信にある。
それ以前のあらゆる世代の哲学は、懐疑論ですら、「真理を所有していた」のである。」ということが見えてきて初めてこのゲームが可能になったのである。」
「後の世代は前の世代より必ずよく知っており、しかもこの進歩は決して完成することはないという観念_この確信が挑戦を受けるようになったのはまだやっと我々の時代になってからのことだ_は、確かに十分意味を持っていた。」
「そして進歩の観念は、そこから始まって他の多くの科学を支配し、ついには歴史という同じく近代の概念の主導的な観念となった。」
〇結論として
13 ドイツ観念論と「概念の虹の架け橋」
14 ニーチェによる意志の拒絶
15 ハイデガーの意志しない意志
16 自由の深淵と”時代の新秩序”
と続いています。
今は、ドイツ観念論と概念の虹の架け橋を読み始めました。
思想史的な話なので、分かりやすいです。