読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「空気」の研究  「水=通常性」の研究

「言うまでもないが、天皇がただの人にすぎないことは、当時の日本人は全員がそれを知っていた。知っていたが、それを口にしないことに正義と信実があり、それを口にすれば、正義と信実がないことになる、ということも知っていた。(略)

この原則は、簡単にいえば、自分が日本国に対して「直キ」日本人であることの自証であり、従ってこれらの言葉が「事実」でないことは、共にそれを真実として口にしている本人が一番よく知っており、知っていてなおその真実だけを口にすることに意義があるのであって、それはその人が「直キ」丸紅人「直キ」共産人「直キ」労組員であることを示す時の原則と、同じことなのである。

それ以外の意味をこの言葉は持ちえない。従って、戦前の人間は、天皇が”世界的生物学者”であると誇りにしていても、「生物学者が自己を現人神と考えることはあり得ないではないか」とは言わなかった。」

〇「生物学者は自分を現人神だと考えないだろう…」本当にそうだ…。

「(略)元来は「父と子」の間だけを規定する倫理が、臨在感的把握の対象を「父」とし、そう把握する者を「子」として、その間の関係を規定するようになった_
いわば、これによって、「父と子」の関係を、あらゆる秩序の基となし得るようになったということであり、それ自体としては、宗教的現象として特異な状態ではない。

このような形で一つの体制が出来上がったのは、図式的にいえば、仏教的基盤に儒教的規範が結合した結果といえるであろう。

そしてこの体制が、徹底的に排除していくものは、「自由」と「個人」という概念である。個人が自由に事実を口にすれば、この関係は成り立たず、教義による拘束も成り立ちえない。

従って日本では、民主主義と社会主義という言葉は受け入れられても、自由・個人という概念は実質的には排除されねばならない。(略)

そして個人が自由に発言し、個人として自由に行動すれば、日本の社会は、徐々にしかし非常に冷酷にこれを完全に排除して行った。」


「では、以上に共通する内容を一言で述べれば、それは何なのか。
言うまでもなく、それは「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める社会」であり、それが体制となった「虚構の支配機構」だということである。」


「ただ問題は、この秩序を維持しようとするなら、すべての集団は「劇場の如き閉鎖性」をもたねばならず、従って集団は閉鎖集団となり、そして全日本をこの秩序でおおうつもりなら、必然的に鎖国とならざるを得ないという点である。」


「自由という概念はもちろん、自由主義よりも資本主義よりも古く、その原意は解放奴隷である。そして人が何かに追随して最高のエネルギーを発揮するには、確かにあらゆる拘束でその人の思考を縛っておくことが、最も能率的であり、たとえその呪縛が虚構でも、大きな「力」となる。(略)

しかし人が何かを全く新しく創造しうるには、その人の思考をあらゆる拘束から解き放って自由にしておく以外に方法がない。」


「われわれは確かに「世界の趨勢」を追っかけて来たし、これが「趨勢だ」ですべてがすんだ時代には「自由」は「不能率」の同義語として笑殺してよかったし、その方が問題が少なかった。

ただ、この方法が通用しない位置に達した時、その「何かの力」は方向を失い、新しい臨在感的把握の対象を求めて徒に右往左往し、衝突し、狂躁状態を現出して自らの「力」を破壊的にしか作用し得なくなって当然である。(略)


そしてその時にそれから脱却しうる唯一の道は、前述のあらゆる拘束を自らの意志で断ち切った「思考の自由」と、それに基づく模索だけである。

_まず”空気”から脱却し、通常性的規範から脱し、「自由」になること。この結論は、だれが「思わず笑いだそう」とそれしか方法はない。」

〇ここで、あの「精神の生活 下」のハンナ・アーレントの言葉が思い浮かびました。

以前書いたことをもう一度載せます。

(西欧の歴史の原点に戻って考えよう、という流れの中で、彼女はヘブライ人とローマ人の「創設」の伝説を取り上げます。)

「さらに一層顕著で、我々の政治的思考の伝統にとって一層重大な結果を伴っているのは、次のような驚くべき事実である。


すなわち、どちらの伝説も(設立された共同体の中で政治的活動を規定するとされている、周知の諸原則とは鋭く対立して)、創設_その中では「我々」が確認できるものとなる至上の行為_の場合、[政治的]活動へと駆り立てる原理は自由への愛なのである。

その場合、この自由は、抑圧からの解放という消極的意味と、安定し触れてわかる現実としての自由の確立という積極的意味との両方を含んでいる。」

〇私たちは、外国の「真似」をしてシステムを作るけれど、いつの間にか自分たちの「土着の秩序」に支配されるようになる、と山本氏も言います。
そして、その秩序は、「虚構の支配機構」だといいます。

空気から脱却し、通常的規範から脱し、「自由」になる以外に新しい自分たちの秩序を作り上げることは出来ないのだということです。

どうすれば「自由」になれるのか。
どうすれば、私たち国民みんなで自由になれるのか。