読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

東洋的な見方

〇 わからないなりに、読み続けているのですが、難しいです。
こうなったら、わかろうとするのをやめます。わからないまま、思いついたことを
書いてみることにします。

「実は人間世界の事物は、何であっても、悉く5官が分別識の要請によって、了解が可能になる。ただし、前述のように、人間世界の全部を通貫して、有限な数の外にあるものに、気がつかぬと、行き詰まりに陥るのである。」


「円融無礙の世界へ出てこぬと、いつも一は一、二は二、六は六で、動きがとれぬ。神経衰弱にかかるに、きまっている。これが近代病として、現に大いに流行している。」


「静は静、動は動と、二つにわけたら、この二つは一にならぬ。ぎごちない世界になる。分割は孤立・偏固・対抗などを意味する。争いの本である。未転・不転の機輪が、そのままに、阿轆轆地に転じて、有となり無となり、一となり二となって、とどまるところを知らぬ。」


「実用面では、それが役立つのであるが、人間の生活はそれだけにつきるのではない。」


〇 どうしてもこの禅の思想は一部のエリートの、しかも生活の苦労のない人々のものではないか、と思ってしまいます。
というのも、「実用」的ではないと思うのです。

まず、あまりにもわかりにくい。それはしょうがない部分もあります。でも、それならそれで、もう少しわからない人々に実用面ではこのように応用して考えるのですよ、と教えてくれたらいいのではないかと思うのですが。

例えば、少し極端な話をしますが…

もし、家の娘がどこかの偉い人の知り合いにレイプされたとします。
禅では、どう考えるのでしょうか?

この世に善も悪もない。人はみな自ら湧き上がる力によって思いのままに行動するもので、自由なのだ。

という思想で考えると、まぁ、人の世にはよくあること、運が悪かったと忘れなさい、となるのでしょうか?

そして、そのような恨みや憎しみに捕らわれているあなたの心が問題なのです。
捕らわれない、一瞬一瞬が永遠なのです。そのような囚われから解放されて、
新しい日々を生きなさい。

ということになるのでしょうか?

禅の正しい考え方は、わかりません。
でも、少なくとも「間違えて」、「自分に都合よく」、そう考える「偉い人の知り合い」のレイプ犯は出てくると思います。

そうなると、レイプ犯の思うままの社会です。二人目、三人目の犠牲者が出ます。
それで、イイのでしょうか?

それでも、あなたの心次第でこの現世が極楽になるのです、というのでしょうか?