「この傾向は、日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから、ルバング島の小野田少尉の捜索、また別の方向では毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「六〇年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数をますという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。
一方、私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。同じ型の突撃を馬鹿の一つ覚えのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出して自ら大量「死へのベルトコンベア」を作るようなことは、しなかった。
これは、ベトナム問題への対処の仕方にも表れているであろう。
あれが日本軍なら、五十万を送ってダメなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万を送る。そして極限まで来て自滅する時「やるだけのことはやった、思い残すことはない」というのであろう。」
従って小松氏が、敗因の中にこの海峡の名を挙げたのは、当然すぎるほど当然であった。太平洋戦争自体が、バシー海峡的行き方、一方法を一方法へ拡大しつつ繰り返し、あらゆる犠牲を無視して極限まで来て自ら倒壊したその行き方そのままであった。
だがしかし、わずか三十年で、すべての人がこの名を忘れてしまった。なぜであろうか。おそらくそれは、今でも基本的には全く同じ行き方を続けているため、この問題に触れることを、無意識に避けてきたからであろう。
従ってバシー海峡の悲劇はまだ終わっておらず、従って今それを克服しておかなければ、将来、別の形で噴出してくるであろう。」
〇原発事故はまさにそれだと思います。
過去に何度も何度も福島の事故に繋がる予兆はありました。
でも、そこでその危険性をしっかり考えることはせず、ただ「同じ行き方」を
続けるだけだったから、あの事故は起こりました。
それにもかかわらず、今もまだ「同じ行き方」を続けようとしています。
「極限まで来て自滅しなければやめられない」という山本氏の予言通りに。