読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

好き好き大好き超愛してる。

「柿緒、誓うね。僕はもう一生、柿緒以外の女の子のことを誰のことも好きにならないから。絶対に。」たとえ心底言いたいことを本気で言っていたにしても、その言葉は耐え難く薄っぺらで、僕も、きっと柿緒もうんざりする。」

〇ここも…うううむ~~~  です。

禅の「空しい言葉を吐くな」、という教えには真っ向から反していますが、でも、私は、薄ぺらだとわかりながら、それでも、その言葉で相手に気持ちを伝えようとする、この治がいいなぁ、って思います。

実際にもし、私がこの場で、「生きて」いたら、多分全然こんな風には生きられない人だと思います。(心がねじくれているので)

でも、こんなふうに、「正しさ」よりも「建設的」さを求める人が好きです。

私は、舞城王太郎が好きだなぁ。

「僕は柿緒だけを愛して一生を終えるべきなのだ。本当に。絶対に。柿緒が最期に長い良きを吐くとき、柿緒がその息を吐き終える前に、僕は自分の命を素早く絶って柿緒とともに逝くべきなのだ。それをせずに生き延びる僕は、しかし正しい。

けれどもその正しさを罰する為に、僕はここで間違えて誓う。僕を罰するために、正しい言葉を言う。本当に僕は柿緒と一緒に死ぬべきなのだ。(略)


ああ、僕はこのとてつもなく大きな愛情にかられてもう既にたくさんの間違いを重ねてきたのだ。だからもう一つ、極め付けのばかをやったって構わない。

僕は誓う。もう絶対に柿緒以外の女の子を、柿緒みたいに深く、強くは愛さない…。」


〇どこかで恋愛小説を読んで、一心同体とか、赤い糸とか、運命の人とかいう物語から、そんな風に考えるようになったのか…

なぜかはわからないけれど、人を好きになるとそんなふうな気持ちになります。
所詮、一種の錯覚でしかない、と言われるのは、知っています。
それでも、その人の存在が奇跡のように見えて、その人が居なければ、全てが空しく見えるような気持になる。
そうなってしまう気持ちが実際にある、ということを私も知っています。

ここを読みながら、そう思いました。

ただ、世の中には、恋など愚かなことを一度もしたことはないし、そんなことで、
結婚を決める人の気が知れない、というタイプの人がいることも事実のようです。

多分、どっちが良いとか正しいとかいうことではないのだろうな、と思います。

でも、人を好きになってしまった人にとっては、
「柿緒だけを愛して一生を終えるべきなのだ。本当に。絶対に。」
が、本心です。

愚かで、間違っているように見えても、その気持ちに真直ぐ
生きる人は、素敵だなぁと思います。

その、「一般論ではない、僕がどうしたいかなのだ」という感じが、
すごく好きです。

「恋愛とはそういうものなのだ。結果としてどうなったかではなく、ほんの一瞬でも気持ちが通じ合ったかどうかなのだ。」


〇次に「ニオモ」を読んで思ったのは、こんな理不尽な世界でも、この中で生きる人は、この世界を生きるのが生きることだ、と思って生きているんだなぁ、ということです。

「アダム」が「イブ」を操縦して神と戦わせて、そのイブが死ねば、新たなイブを迎える…。メチャクチャじゃないの!と思います。

でも、「世界」って、結構、最初から相当理不尽なところがあるな~って、このニオモの理不尽さを見ながら、現実の世界の理不尽さのことを考えました。