読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

シーラという子 _虐待されたある少女の物語_

「ファイルはわたしのところにまわってくるもののわりには驚くほど薄かった。ほとんどの子供たちのファイルは分厚く書類がぎっしりとはさみこまれていて、何十人という医師、セラピスト、裁判官、ソーシャル・ワーカーらの意見が満載されていた。

これらのファイルを読むたびに私が思う事は、このファイルに記録を書いた彼らは、当事者の子供と毎日何時間も一緒に過ごさなくてもよかった人ばかりなのだということだった。

紙に書かれた言葉は学識豊かな論説ではあっても、必死になっている教師や恐怖にかられている親を助けるようなことは何も語っていなかった。」



「シーラは季節労働者用キャンプの一部屋だけの小屋で、父親と二人で暮らしていた。家には暖房も水道も電気もなかった。母親は二年前に彼女を捨て、下の息子だけを連れて家を出ていた。(略)


シーラが生まれた時、父親は三十歳だったが、母親はまだ十四歳で、無理やり結婚させられた二か月後にシーラを産んだのだった。気の重い驚きに私は頭を振った。

母親はいまでもやっと二十歳ではないか。彼女自身まだ子供と言ってもいいくらいだ。」


「これら二つの査定のうしろに、群の顧問精神科医が”慢性的幼児期不適応”と一言メモをつけていた。これには思わず笑ってしまった。なんともずるい結論を出したものだ。

この結論が私たちみんなのどんな役に立ってくれるというのか。シーラの過ごしてきたような幼児期に対する唯一正常な反応といえば、慢性的不適応しかないではないか。

こんなめちゃくちゃな人生にもし適応できたとしたら、それこそその子が精神異常であることの証拠ではないか。」


「決して泣かない。私はこの箇所で目を止め、もう一度読み返した。一度も泣いたことがない?まったく泣かない六歳児など考えられなかった。」



「私はファイルとそこに書かれているばらばらの情報をじっと見つめた。この子を愛するのは容易なことではなさそうだ。この子はかわいくないことばかりしている。」


〇愛するってどういうことだろう…とよく思います。「自然に」そうなって愛してしまうのが愛するってことで、愛そうと意識して愛するのは愛している「ふり」にしかならないのではないか、と思ったりします。

でも、このトリイさんは「意志的に」愛することが出来ると考えているようです。そこがいつも私とは違うなぁと感じます。


「あの敵意に満ちた目の奥には、人生など誰にとってもおもしろいものではないということ、そしてこれ以上拒否されない最良の方法は、自分自身をできるだけ人から嫌がられるようにすることだということをすでに学んでしまった小さな女の子がいた。」


「今年まではずっと畑で働いてきて、いまも妻と二人の息子と共に季節労働者用キャンプにある小屋で暮らしているアントンは、私の担任の子供たちの生まれ育った世界を私よりずっと本能的に知っていた。

私は訓練も受けているし、経験も知識もある。だがアントンには天性の勘と知恵が備わっていた。」


「だがアントンと同じく、ウィットニーにはそれだけトラブルが続いてもいてもらうだけの価値があった。彼女は子どもが大好きだった。」


「私たち三人全員はじかれたように彼女の後を追って、別館につながるドアに向かって走った。ふつう昼食時間の間は、昼食補助員たちが子供たちの面倒を見てくれることになっている。」


〇「フランスはどう少子化を克服したか」にも昼食補助員とか、休憩時間の補助員とかの話がありました。日本には、そのような補助員はいません。


「シーラが水槽のそばの椅子の上で挑みかかるように立っていた。どうやら金魚を一匹ずつつかまえては鉛筆でその目をくりぬいているようだ。七、八匹の金魚が椅子のまわりの床で、目をつぶされてのたうちまわっていた。」


「アントンが彼女の後を追った。この驚きの一瞬を利用して、私はシーラの鉛筆を取り上げようとした。が、彼女は私が思っていたほど気を抜いてはいなかった。

シーラはものすごい勢いで鉛筆を私の腕に突き立てたのだ。鉛筆は私の腕に刺さり、一瞬ぶるんとゆれてから、床に落ちた。」



「まだ発作にあえいでいるピーターのかたわらの床にすわりこみながら、私は自分の上にのしかかってきつつある圧力を感じていた。すべてはあっという間の出来事だった。あれほど一生懸命に維持しようとがんばってきたわずかながらのコントロールを、みんなが失ってしまっていた。」