読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

どアホノミクスの断末魔

〇浜矩子さんの文章は、読んでいて面白いです。内容はもちろん「アホノミクス」の話なので、深刻で嫌な話なのですが、語り口がユーモラスで読みながらニヤニヤしてしまって、暗い気持ちが救われます。

先日終わったNHKの朝ドラ「わろてんか」では、「笑う門には福来る」的な台詞が多かったのですが、素直に笑う気になりませんでした。
むしろ「パンとサーカス」の話を思い出しました。

浜さんのような笑いこそが必要な笑いだと感じます。

抜き書きしたいところをチェックしていくと、全部になってしまうので困ります。
そこで、一番最後の「終章」を全部メモすることにしました。

「終章 現状突破のための秘策

●19世紀への回帰はご免だ

大日本帝国会社の従業員(臣下?)となるべく、働き方を改革される。そのようなことになっては大変だ。その道を行けば、「資本論」が描出する労働現場に引きずり戻されてしまう。いくら何でもそれはないだろう。そう思われるかも知れない。それは妄想が過ぎる。それは悪ノリが過ぎるんじゃないの。そのようなご指摘があるかもしれない。それも解る。

筆者も、正直なところ、自分がこんなことを言い出すとは思っていなかった。何と言っても、「資本論」に登場する職場は19世紀半ばのものである。暗くて不潔で息苦しい。

暑い時の暑さは耐え難い。寒い時の寒さは凍てつくばかりだ。その現場に、働く人々がひしめいている。男も女も小さな子供も。機械にへばりつく子供たち。どうかすると、その子供たちの脇に親たちがまたへばりついて、小さな口に食べ物を放り込んでいたりする。食事のための休憩などと言うものには、誰も思いが及ばない。


長時間労働を是正させるための労働者たちの闘いは困難を極めた。ようやく一日12時間労働を確保したと思いきや、資本家側は、あの手この手で何とかこれを骨抜きにしようと悪知恵を巡らせる。


この19世紀的暗黒風景を、21世紀の日本に重ね合わせるのは、まさしくいくら何でもやり過ぎだ。奇をてらい過ぎだろう。そう言われれば、ごもっともだとも思う。


だが、「資本論」第一巻第10章のあの箇所を読み進んでいたら、実際に、「働き方改革」やら「多様で柔軟な働き方」やら、「女性活躍推進法」やら、なにやらかにやら、21世紀的なフレーズの数々がフツフツと頭の中に浮かんできてしまったのである。


逆方向のイメージの流れもある。何もかもが、生産性向上に紐づけられていく。同一労働同一賃金と言いながら、その実、何を以て同一価値の労働かということは、経営側が決める。その場合の尺度は成果と貢献度だ。しかも、何を以て成果とみなすかも、当の経営者の判断いかんだ。


貢献度についてもまた然り。長時間労働の是正を打ち出しながら、実際には、過労死ラインを辛うじて下回る労働時間を上限に設定することで合意する。


この有様を目の当たりにするにつけ、1833年の工場法を巡る労使そして政治家三つ巴の攻防のイメージが頭の中を駆け巡る。


●今、解っていること


こんなイメージにつながっていく世界に向かって、アホノミクス軍団が我々をタイムスリップさせようとしている。それは阻止しなければならない。

さて、そこでどうするか。何はともあれ、ここまでの検討の中で解ったことを改めて整理しておこう。

情況把握こそが問題解決につながる。どんな状況に直面しているのか。このことをまずは今一度把握しておく。ここが出発点だ。断末魔の中で大日本帝国会社の足固めを急ぐチーム・アホノミクスについて、吾らは今、何がどう解ったか。箇条書き的に確認していこう。」


〇記憶を整理するためになんとか自分なりの「まとめ」をしなきゃ…と思っていたのに、ここで、「まとめ」がなされているのです。すごく助かりました。


つづきは、また明日にしたいと思います。