読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

どアホノミクスの断末魔

「●「今、最も気掛かりなこと」その2とその3:F級SF世界の孤立と分断

未来社会」の問題はどこにあるか。これについても、既に若干申し上げた通りだ。未来は真っ白なキャンバスだ。そこには、何だって描いて見せることが出来てしまう。無責任な未来語りは、今を見据えることが苦手な人間のやることだ。


面白い未来小説やSFは、なぜ面白いかといえば、それは、作者が現状の問題点をよく把握しているからだ。そこに今的問題がどう投影されているか。今的現状との時空的そして精神性的乖離がどれだけのものか。それらのところが厳密性をもって描かれている時、SFは単なる荒唐無稽さの領域を超越して、諧謔と感動を生み出す。


政治がF級SFの世界で遊びまわっていることは許されない。F級のFはFAILのFだ。つまり不合格の意である。単におさぼりだという意味でも許されない。
だが、それだけではない。政治のF級未来話の背後からは、現状から我々の目をそらす魂胆が、それこそ「透けてみえる」。今、この時の実態に関して、我々の思想を停止させるための悪だくみ的側面を見逃すわけにはいかない。


政治が語るそのようなF級未来物語りこそ、現代版の「民衆のアヘン」だといえるかもしれない。


「労働社会」についても、既に申し上げた通りだ。政治の「働き方改革」の中で、「多様で柔軟な働き方」が高い優先度を与えられていることを確認した。この「多様で柔軟な働き方」が広がると、働く人々は、誰もが一人ぼっちになって行く恐れが大きい。一人オフィスは確かに気楽でいいかもしれない。


チーム・アホノミクスが大好きな「テレワーク」にも、確かに柔軟性が高くて有難い面が多々あるだろう。在宅勤務の心地よさは、筆者も実感する面が大いにある。


だが、この心地よさにおぼれてお一人様状態が続くと、ふと気づけば孤立している。孤独になっている。分断の小部屋に封じ込められている。誰とも連帯できない。誰とも団結出来ない。誰とも声を上げられない。分断された市民たちは、多数者であるはずなのに、少数者の立場に追い込まれて声を失う。分断統治の餌食となってしまう危険度が高まる。」



〇前回、メモした「下流志向_学ばない子どもたち 働かない若者_」にも、同じような警告がありました。

「こういうことはもっとはっきりアナウンスされるべきだと思うんです。弱者が弱者であるのは孤立しているからなんです。


自己決定・自己責任とか、「自分探しの旅」とかいうイデオロギーに乗せられて、セーフティネットの解体に同意し、自分のリスクを増大させていることに気づいていない。

マルクスは「万国の労働者、団結せよ」と言いましたけれど、ほんとうにその通りで、たいせつなのは「万国の弱者、団結せよ」ということなんです。」