読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

「次の月曜の朝のこと、私はデイヴィッド、タマラ、ヴァイオレットと一緒に”空っぽの椅子”というゲームをしていた。これは有名な精神科医のフィリッツ・パールが開発した治療法のヴァリエーションのひとつで、グループの真ん中に空の椅子を置いて、そこにだれかが座っているかのように、椅子に向かって話しかけるというものだ。


私たちは怒りの気持ちと悲しみの気持ちについて、そして時にはこの二つが混ざり合うことがあることなどを話し合っていた。


私は子どもたちに順番にだれかにそんな気持ちにさせられた時のことを考えるようにといい、それからその相手がこの椅子に座っていると想像して、その人に向かって自分の気持ちを話してみるようにいった。


調子が出てくるまでには多少時間がかかった。私が例を示した。椅子に私が飼っている猫を嫌っている隣人を座らせ、空っぽの椅子に向かって、その人が私の猫をいじめているのを見て私がどんなに腹立たしい思いをしているかを話した。」


〇「道徳」の授業をするより、このような授業の方が思いやりの気持ちを育てるには有効な気がしますが、授業として成立させるには難しいのでしょうか。


「タマラは私の方を見た。「あたし、もう赤ちゃんの世話はしたくないっていいたいの。なんでお母さんは自分で面倒を見切れないほどたくさん子供を産んだのかなあ」

「そうお母さんにいってくれる?」と私はいった。「お母さんがあそこに座っていると想像して、自分の気持ちを言ってごらんなさい」


「あたし、赤ちゃんの世話はもうしたくないの。もう赤ん坊にはうんざり。あたしの赤ちゃんじゃないんだよ。あたしが一番年上だからって、そんなの不公平だよ。なんであたしが赤ちゃんの面倒をみなくちゃならないの?」


タマラの目に涙が滲んで来て、彼女の言葉がとぎれた。私の方を見ながら、彼女はいった。「あたし、赤ちゃんの面倒を見るにはまだ小さすぎるもの」」





「「あたし、アレホを椅子にすわらせたい」ヴァイオレットがいったので、私はびっくりした。
アレホはそう遠くないところにいた。私たちはシーラが床に寝そべってアレホと喋っていたところからすぐのところに輪になっていた。(略)


「いいわよ。アレホに何が言いたいの?」
「こっちに来ればいいのに、アレホ」そういいながら、ヴァイオレットは椅子に近付いていった。彼女は頭を傾け、まるでほんとうにそこにアレホがいるかのように椅子を間近に見た。


「なんでずっと隠れているの?ここはちっとも怖くなんかないよ。アレホがいなくてさびしいよ。出て来ればいいのに」(略)


「わかったよ」
ビックリして私たちが全員振り向くと、アレホが積み重ねたテーブルの横に立っていた。「アレホが出て来た!」デイヴィッドがすごい声を上げたので、アレホがまた下に駆け込んでしまうと私は思った。だが、そうはならなかった。(略)


まだ床にあぐらを汲んで座っていたシーラが手を伸ばしていった。「ここにおいでよ、アレホ。あたしの横にすわったら」
ためらいもなく、アレホはシーラの傍に行くとそこに座った。


「じゃあ立場を変えましょう。あなたたちは空っぽの椅子に向かってしゃべるっていうのはもうやったでしょ。だから今度は空っぽの椅子の方があなたたちに言い返すというのをやりましょう」と私は言った。「タマラ、あなたはさっき空っぽの椅子に座っているお母さんに話したわよね。今度はあなたが空っぽの椅子に座ってちょうだい。」(略)


タマラは長い間黙って座っていた。「あんたにそんなたいへんな思いをさせるつもりはなかったのよ」彼女は静かに話し始めた。「ただあまりにも子供が多いもんだから」ここでいったん言葉を切った。「結婚なんかしたらだめよ、タマラ。子どもなんか作ったらだめ」それからタマラは立ち上がり自分の席にもどった。」



「私はヴァイオレットに微笑みかけ、それからアレホの方を見た。「ヴァイオレットどれほどあなたにまた仲間になってほしいと思ってるか言った時、どんな気持ちがしたか教えてくれる?」

「うれしー」アレホはいった。」