読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

タイガーと呼ばれた子_愛に餓えたある少女の物語

「親愛なるお母さん、
あなたが見えればいいのですが。あなたがどんな顔をしているかわかっていればいいのですが。あなたの写真を手に入れようといろいろやってみましたが、お父さんは一枚も持っていないし、他の誰も持っていないようです。あなたのことを知りたいのです。


私みたいに髪はブロンドですか?まっすぐの髪ですか?目は青ですか?外出するたびに、いつもすれ違う女の人たちを見てしまいます。私のことを知っている人がいるんじゃないかと探してしまいます。あなたはどんな姿をしているのですか?あなたを探し出せれば、もっと気持ちが楽になると思います。



親愛なるお母さん、
どうしていってしまったのですか?そのことがいつも私の頭から離れません。私が言いたいのは、どうして私を連れて行ってくれなかったのかということです。私はそんなに悪い子だったのですか?私、いつもいつもおしゃべりでうるさかったのでしょうか?ジミーと喧嘩をしたからですか?
それともあなたは二人も子どもがいることにうんざりしてしまっただけなのでしょうか?


親愛なるお母さん、
貴方はお父さんが嫌で行ってしまったのですか?私も今になってお父さんがどんなだか、よくわかります。どうしてもお酒やクスリをやめられないし。私も腹が立ちます。私も逃げ出したくなります。お母さんもそうだったのですか?ただ我慢できなかったということですか?


手紙をたたんで封筒に戻してから、私は封筒の表に書かれた自分の名前を見つめた。上の片隅に先にシーラから手紙が来たところと同じ施設の名前が書かれていた。台所に行くと、私は電話をとり番号案内に電話をかけた。」




「ここで私は彼の消息をつかんだのだった。その間シーラは父親が逮捕された地域の児童養護施設に入れられていた。
この新しい環境になじめず、シーラは逃げ出した。(略)


この種の施設は俗に”子供の農場”と呼ばれているが、施錠施設の婉曲表現にほかならない。前年の夏にシーラから自殺を予告する手紙が来たのはこの施設からで、私がごく最近手紙を受け取ったのもここからだった。」



「有名で料金も高いクリニックであるサンドリ―にいる人間だということが、おそらく私の職業上の資格をすべて集めたたよりも多くの便宜を計ってくれるだろう。
もし私が単なる友達にすぎないと言っていたら、シーラの父親と一緒くたにされて、おそらく相手にしてもらえなかったはずだ。」



「ここの農場の基本理念を質問したところ、彼女の返事は私が予想していた通りのものだった。つまりここでのプログラムは行動修正に大きく依拠しており、子供たちは得点を稼ぐ事によって特権を手に入れるというやり方だった。(略)



シーラのように情緒的にも知的にも複雑な子には、行動修正というシステムはうまく行かないのだ。」



「「ハーイ」長いためらいの時間があり、それから突然シーラは私の両腕の中に身を投げ出して、私にしっかりとしがみついた。私は両腕で彼女を包み込み、しっかりと抱いた。
戸口ではホリーが私たちを見ていた。シーラの頭越しに私は彼女を見た。
「しばらく私たちだけにしてもらえますか?」
彼女はしばらく黙っていたが、それから頷いた。「ええ、わかったわ」



シーラはこの二年の間にすごく変わってしまっていた。背は高くなったのに、体重は減っていた。減り過ぎていた。なんだかひ弱に見えた。奇抜な服装は、なんの変哲もないジーンズとブルーのTシャツに変わっていた。派手だった髪もそうでなくなり、パーマもほとんどとれていた。前髪も伸ばしっぱなしだ。(略)


わたしが彼女をしげしげと見ている間に、シーラの方でも私を観察していた。「ふけたね。自分でわかってる?しわがあるよ」シーラは言った。
「まあ、ありがとう」
「トリイにしわなんて考えたこともなかったもんだから」
「どんな素敵な人にも皺は出来るのよ」私はそう言って、彼女のルームメイトのベッドに腰を下ろした。」



「「結婚?わたしが?」私はびっくりしてこたえた。「いいえ。どうして?私が結婚すると思っていたの?」
「うん。ジェフと」
「ジェフと私が?ジェフとは……そういう関係じゃなかったのよ。そんなこと思ったこともないわ。ただの友達よ。というか、同僚ね。それ以上の何もないわ」



シーラは首を傾げ、疑わしそうな表情を浮かべた。
「貴方はどうなの?ボーイフレンドはいるの?」
シーラは答えなかった。一拍ほど間をおいてから、彼女は私の顔を見返した。
「じゃあ、ジェフはどこにいるの?彼もあたしに会いに来てくれる?」
「いいえ」私が言うと、シーラはうつむいた。
「ああ、彼が来てくれるといいなと思ったのに」シーラは悲しそうに言った。


私はシーラはジェフには反感以外の何も感じていないと思っていたので、この言葉に虚をつかれた。(略)


シーラは眉間にしわを寄せながら、熱心に話を聞いていた。私が話おえると、彼女はかすかに頭を振った。「行っちゃったの?ずっと行ったきりなの?」
「そうだと思うわ」
「ああ、ジェフ」シーラは小声でつぶやくと、頭を振った。「あれほどの大人物が倒れたというのに、それにしては地響きがしなさすぎるな。この丸い大地が大揺れに揺れて、獅子が平和な都に抛出され、都の住民共が逆に獅子の洞穴に投げ込まれるほどの騒ぎになってもよさそうだが」(「アントニークレオパトラ福田恒存訳より)



この言葉を聞きながら、これが何かの引用だということは気がついたが、その出典が何なのかはわからなかった。
「わからないの?」シーラがきいた。ベッドの縁にかがみこみながら、シーラは平らなベッド下収納箱を取り出し、蓋を開けた。その中に手を突っ込み、シェイクスピアアントニークレオパトラ」を出した。ジェフが彼女の十四歳の誕生日にあげたものだ。


表紙はぼろぼろになり、テープで補強してあった。何か所か抜けているページがあるのが見てとれた。
どこからともなく突然重苦しい沈黙が押し寄せて来た。シーラはその本を膝の上にかかえ、すり切れた表紙を見ている。私は何と言っていいかわからないままに、ただ座っていた。


ようやくシーラが小声で話し始めた。「彼がなんでこれをあたしにくれたんだろうと思ったんだ。なんてばかばかしいプレゼントだろうって。誰がシェイクスピアなんて読みたいと思う?楽しみにこんなものを読む人がいる?ごっつい黒い靴に、サポートタイプのパンストをはいているような野暮ったいおばさんならどうか知らないけど、あたしが読むはずないじゃん、って。


あるとき、警察で一晩待ってなきゃいけないことになったんだ。時間を潰すものが何もなくて、それでこれを読みだしたんだ。なかに入り込むのはたいへんだった。言葉に慣れるのがむつかしかったんだ_今思うと変だけどね。今読むと、すごく簡単だもの_でもあの最初の夜は、大変だったんだ。それで、いったいなんで彼はあたしにこんなものくれたんだろう、って思ったんだよ。」



「「で、この本をもう一度読み始めたんだ。今度は全部読み通した。読み終えると、もう一度読んだんだ。さらにもう一度。賭けてもいいけど二日間で十回は読んだと思うよ。それで思ったんだ。なんて美しい話だろうって。


この女の人はすごく素晴らしいの。とにかくすごいんだよ。それで、この男の人は全てを彼女のために捧げるの。彼は世界を諦めるんだよ。文字通りね。それなのに……
彼らは会えば半分は喧嘩しているの。頭では愛し合っているんだけど、現実ではいつも意見が合わなかったり、言い合いをしたり、からかったり。


ああ……あたし、これを読むと、こういう気分になるんだ……なんていえばいいのかな。心が広がる?ちがう、ちがう、そうじゃないな」シーラは言葉を切って考え込んだ。


「こういう感じなんだ。あたしは小さな屋根裏部屋にいて_これがあたしの普通の生活だよね_あたしの上にある明かり採りの天窓は見えるけど、そこには絶対に手がとどかない。ところが、この本を読んでいると、あたしの中で何かがどんどん大きくなってくるんだ。あたしを押し上げて、一瞬あたしは天窓を押し上げて外を見ることができるの。


外の世界を垣間見ることが出来るんだよ。あたしの言ってることがわかる?ほんとうに外の世界をちらりと見ることが出来るんだ。一瞬だけど、そこにはあたし自身よりももっと大きな何かがあるんだよ」
シーラの話をきいていて、私は深く心を揺り動かされた。(略)



彼女の考えを、閉塞状況のなかで光を求めてもがく気持ちを、話してきかせた。彼女の知的欲求のやるせなさがひしひしと感じられた。
「この話は全部ほんとうのことなんだよ」シーラは話し続けた。「あたし、事実を調べたんだ。西洋の歩んできた道はすべてこのカップルが行ったことの影響を受けているんだよ。そのこと知ってた?クレオパトラはほんとうに信じられないような女性だよ。すっごく強いの。すごく強力な女王なの。それでいてとても人間的なんだ。すごく愚かだし。すごくおかしいし。ああ、トリイ、この本には所々あたしが今までに読んだ中で最高に面白いところがあるんだよ」



私たちはこの少女をこんな逃亡防止用の部屋に閉じ込めていったい何をしているのだ?私はそのことしか考えられなかった。」


〇「あたしのいってること、わかる?」と聞くシーラの気持ちがすごくわかります。多分、「世界中に、あたしの言ってることがわかる人はそんなにいない」と嫌になるほど知ってるからそう訊くんだと思います。

そして、トリイならひょっとしたら、わかってくれるかもしれない、少なくとも、半分でも4分のⅠでも、何か感じてくれるかもしれないって、思って一生懸命に話しているのだと思います。

わかってくれる人って、本当に少ないし、そんな話が出来るタイミングが来るってことも少ないと、私自身のことを振り返っても思います。

「一本の指で、彼女はぼろぼろになった端を補強しているスコッチテープをそっと撫でた。「ジェフのことは本当に悲しい。彼に会いたかったんだ。あたしがこの本を気に入ってるってことを知ってもらいたかったのに」
「手紙を書きたいのなら、住所を教えるわよ」と私は言った。




「あたし、彼のこと好きだった。あの頃は彼にそう言えなかったけど。幸い、あの頃はまだこの本を読んでいなかった。読んでいても彼にはきっとこの本が好きだとは言えなかっただろうから。彼にはあたしが彼のことすごく嫌ってると思ってほしかったんだ」


シーラは目を上げた。「へんでしょ?彼を大嫌いだと思ったことなんかなかった。全然そんなことなかったんだ。でも、あたしの方から先に彼を嫌わないと、彼に嫌われるのが怖かったんだよ」しばらく間を開けてから、シーラは続けた。「ほんとうのことを言っておけばよかったな」」