読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「正義」を考える  生きづらさと向き合う社会学

「第2章  正義の諸理論 サンデルからアリストテレスまで遡る
<制度にとっての究極の徳>
学問にとっての究極の価値が真理であるとすれば、それと同じような意味で、制度あるいは社会構想にとっての究極の徳は何か?


それは、正義であるということです。これは僕が言っていることではなくて、アメリカの著名な政治哲学者ジョン・ロールズが言っていることです。(略)


では、そもそも正義とは何でしょうか。しかし、皆さんも知っているように、正義についての明快な通説的定義というものはありません。真理についてもそうですが、それでも真理の場合は、「事実との一致」などと真理の定義として比較的広く受け入れられている基準があります。(略)

しかし、正義のわからなさは真理どころじゃない。正義とはなにかという議論は悲惨なまでに分散していて、確定的なことは何も言えないような状況です。
そこで、正義についてどういう考え方があり得て、どんな議論がなされているかということを、主要なポイントだけでも押さえて、議論を前に進めるための足掛かりを作っておきたいと思います。」

〇 私はいつも思うのですが、ここで、「あのロールズが言っている」ということを根拠に、社会制度にあるべき徳は正義だ、とするところに無理があるのだと思います。

例えロールズが言っていても、一体それが私たちと何の関係があるのか?というのが、今の私たち日本人です。
実際、総理大臣を筆頭に政治家、官僚、司法、マスコミは正義などそっちのけで、自分たちのやりたいやり方でやろうとしています。
平気で噓をつき、文書を改ざんし、歴史を修正します。

つまり、日本には皆で共有すべき「基準」がない。そのことをしっかり認識すべきだと思います。「ロールズ」は権威ある学者なので、権威に弱い私たちは、水戸黄門にひれ伏す下々の者のように、その説を有難がります。

でも、それだけでしかない、ということです。

チンパンジーの例をあげて、「チンパンジーもセクハラをする」と言った人がいました。つまり、私たち日本人は自分たちはチンパンジーと同じレベルの行動をしている、と自覚しているのです。そして、それでいいと言っているのです。

まず、その「文化レベル」をチンパンジー以上にしたいのかどうか、その議論から始めるべきだと思います。

ちなみに、ここで「文化」について、「サピエンス全史」から引用します。

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「こうして彼らは人工的な本能を生み出し、そのおかげで厖大な数の見ず知らずの人同士が効果的に協力できるようになった。
この人工的な本能のネットワークのことを「文化」という。」

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〇私たちは本気でこの文化を守るつもりがあるのでしょうか。
今、チンパンジーなみの社会になろうとしています。
それでいいのでしょうか。

正義以前に、人間とチンパンジーの違いから議論しなければならないのが私たちです。しかも、その議論の大前提は、「暴力=権力」なのだと思います。だからみな、空気を読んで、なんとか生き残るために、意見など言わず、ただ食べるためだけに周りを見回しているのです。