読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (S軍曹の親指)

「しかしトラックに近づくと、希望的観測は一気に消えていった。駕橋(ボデー)の上にもトラックの下にも周囲にも、折り重なって死体が散乱していた。特に駕橋(ボデー)の上の死体は、手足が千切れて散乱し、目も当てられない惨状であった。ハエの大群はすでに遠慮なく押し寄せ、その羽音が後々まで耳鳴りのように耳に残った。」



「「K兵長、軍医だ、軍医を呼べ、脈がある」私は大声で叫んだ。しかし十年兵の彼は、戦場の体験では、私よりもはるかにベテランであった。彼はすぐO伍長の心臓のあたりに手をやると私に言った。「少尉殿、違います、それはご自分の脈です」。だが私は諦め切れなかった。


そして頑強に言い張った。「いや、ある、確かにある」。「いえ」というとK兵長は不意に大粒の涙をポロポロとこぼして言った。「イエ、ご自分の脈です、前にもこういうことがありました」_それは彼の言う通りであった。後で死体を動かしたとき、O伍長の方がひどく痛めつけられていることを知った。


ただ貫通銃創は、弾丸の抜けた方を見ないと、その傷を見落とすことがあっても不思議ではない。おそらく彼はシャツのまくれ上がった所を撃たれ、あとで風がその傷口を隠したのであろう。(略)


彼は陸に打ち上げられた魚のように口をパクッパクッと動かし、跡切れ跡切れに言った。「少尉殿…すみません…自分です…打ち殺して下さい」。事情はすぐ飲み込めた。彼がS軍曹に人夫をつんで車をカタヤワンにまわしてくれと頼みこんだのに相違ない。


自分がこの惨事を引き起こしたと思った彼は、死ぬつもりでシートから動かなかった。不思議なことにその彼だけが息があった。「口をきくな!動くな!」私は大声をあげた。(略)


まことに恥ずべき話だが、私は持って行きどころのない憤懣を罪もない彼らに発散し、彼らが応急処置の薬品も資材も持って来ないといって、撲り付けた。人を殴ったことは、軍隊時代にもう一度ある。結局、K参謀への憤懣を、抵抗できない彼の部下にはらすという、最も卑劣なことをしたにすぎなかった。


F軍曹を送って、私ははじめて人夫に注意を向けた。彼らの大部分は、トラックの下に這いずり込んで死んでいた。車から飛び降りたものの、射すくめられ恐怖で足が動かない。こういう時は、人間は、本当的に物陰に隠れようとする。


しかし上空の敵機は専らトラックを狙っているのだから、まるで標的の後ろに隠れるような結果になってしまう。この点運転手のN兵長は、歩兵出身の十年兵だけあって、這いずっても射線から体をはずそうとし、そして助かったわけだが、それは人夫には無理なことであったろう。


彼らは折り重なっていて、車を動かさない限り生者と死者の弁別さえつけられない。一番手前の一人が不意に私を認めた。彼は足の裏をくだかれていたが、他には弾丸を受けていないらしく、ぐるりと寝返りをうち、上半身を起こすと、くだけた自分の足を右手でつまみあげ、あいている手と動く足で、跳ねるような形で私に近づいて来た。(略)彼は恐怖の余り狂ったのであろう。」



「何しろこれほどの機銃掃射をうけてトラックが火災を起こさなかったのは奇跡に等しかったので、何とか修理して車だけでも使えるだけ使おうということになったわけである。当時は、人命よりも兵器・機材が尊重され、トラックは兵器だったわけである。(略)


しかし死体と重傷者の上に載っているに等しい車を動かすのは難渋をきわめた。さらにぐずぐずしていれば、いつまた空襲を受けるか分からなかった。」




「だが、火葬の火が砲爆撃の目標になるということで、火葬はすでに師団命令で禁じられてはいた。しかし私は強行するつもりでいた。一種の無意味な意地だったかも知れぬ。しかし副官に反対され、「オレが特例を認めてくれるように交渉するから、指示があるまで待て」と言われたので、遺体を校庭らしいところにおき、黙って、ただ一人、連絡があるのを待っていた。


司令部の手落ちなんだから、それくらいの特例は認めてくれてよいだろう_否、認めてくれるはずだ、といった甘い考えを、私は抱いていたように思う。」


「彼の死は、S軍曹とは別の意味で、ひどく私にこたえた。彼ぐらい気持ちの良い人間は、本当に稀だった。柔道四段で、疲れを知らず、常に朗らかで全く嫌味がなく、理想的な現場の指揮者であった。人夫たちが最後まで着いて来たのは、もちろん塩のゆえだが、一つには彼のこの魅力もあった。」



「ついて来るというK兵長を押しとどめ、私は一人で、足元を照らしながら、細い伐開路をのぼった。(略)私は急に、何と隊長に報告して良いかわからなくなった。


煎じ詰めれば、すべての原因は、昨夜の曳行にあった_すなわち私自身にあった。あんなことさえしなければ、もっと早く車を出せたであろう。そうすれば、何の事故もなく、今夜もみなで、気晴らしに冗談でも言い合っていたであろう。


私は昨夜の越権の行為を隠す気はなくなっていた。何もかも報告してしまおう。処罰されて良い、その方が気が済む。


_本部のバラックの灯が見えた。暗い灯火の傍らに、S中尉が椅子がわりの爆薬の空箱にかけていた。彼は、灯火のかげから、透かし見るようにして、無言で敬礼をしている私を見た。そして言った。


「山本か?報告はいい、何も言うな、すぐ帰って寝ろ」。この言葉は何よりも有難かった。不意に目から涙が出た。私は答えた。「ハイ、しかし部隊長殿には…」「ウム、処置はすませた、細部はワシに報告した、と言えばよい」「ハイ」「終わったら、もう寄らんでよい、早くやすめ」



私は隣接した部隊長の小屋に行った。部隊長の方が、感情の動揺が激しかったように見えた。私がS中尉に言われた通りに言うと、無言でうなずきながら特徴のある大きな目で私を見、「司令部のヤツら…」と言いかけてから不意に「親指を切ってきたか?」と私に言った。


ニューギニア戦線で、火葬が不可能なとき、戦死者の親指を切り取ってこれを火葬し、その遺骨というより遺灰を内地へ送った_というより内地に送るべく保持していたという話は確かに聞いたことはある。(略)


部隊長の顔には、奇妙な激情が走った。確かに少しノイローゼだったのであろう。「切ってこい。遺体の一部なりとも遺族にとどけにゃ相すまんのだ。命令だ。切って遺灰にして、もって来い」


私は非常に意外であった。第一、部隊長は、こういう言い方をする人でなかった。第二に、部隊長は軍隊生活のベテランであったから、非常に細かく的確に指示する人であり、もし、このことが初めから念頭にあったのなら、最前の私への指示が、「親指を切って遺灰にし、遺体は埋葬せよ」だったはずである。第三に、所定の報告も求めず、報告はよいともいわず、いきなり「親指」を云々するのは、軍隊内の常識からみても異常であった。



だが考えてみれば、部隊長の心労の一部は、その原因が私だったはずである。部下が戦死し、その上自分の部下が、参謀をブッタ斬るなどと言って駆け出したとあっては、そのショックは二重にも三重にもなるであろう。


私はそのことを知らなかった。しかし何か異様なものを感じてはいたのであろう。そこでおとなしく「ハイ」と答えると、部隊長は「すぐ行け、ワシの車を使え」と言った。私は敬礼をし、再びタイマツをもって伐開路を五号道路へと下った。


あるいは私の誤解かも知れない。しかし、その時私は、部隊長の言葉に、部下の死から反射的に起った「生への希求」も聞いていたのであった。人間が「生きたい」と叫んだとて、それは当然の言葉であって、生を希求することは卑怯でも卑劣でもあるまい。卑怯とか卑劣とかいうことは、これとは全く別のことのはずである。」