読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (陸軍式順法闘争の被害者)

「ついで私は部隊長の書簡の内容を説明し、S大尉の意見もきき、それから隣室の高級参謀、作戦主任参謀のA中佐の部屋に恐る恐る入るというのが順序であった。
A中佐は体躯堂々、背が高く肩が張り、大きないかつい顔とギョロリとした目をもつ、絵に描いたような「帝国軍人」であった。


だがそう見えただけで、実際は私より背が低かったのだが、これに気づいたのは戦後で、当時は見上げるような大男のように錯覚していた。時々大声叱咤するが非常にさっぱりした人であった。


戦後ただ一度、銀座の四丁目の角でばったり会った。私より背がずっと低いので、「おかしいな、こんなはずじゃなかったがなあ」とその時感じたわけである。かつての高級参謀は少々うす汚れた感じの将校服を着、肩から雑嚢を下げ、いま魚河岸からの帰りで、鰹節の仲買をしているといった。


だがその時の彼の態度は、私には非常に気持ちが良かった。卑下もせず、悪びれもせず、虚勢も張らず、愚痴もいわず、自嘲もせず、かつて高級参謀という仕事をしていた時と同じように、鰹節の仲買いという仕事をしていた。


人間の運命はどうなるか予測はつかない。そしてその変転は必ずしもその個人の力で左右できるわけではなない。そしてもし彼のように大きな運命の変転を経験しなければならないのなら、その時には彼のようでありたいと私は思った。


二人は三十分ぐらい立ち話をした。そして互いに住所も聞かずに別れた。
部隊長とA参謀はどこか気が合ったらしい。二人とも私には言いたいことを言いまくっていたが、そこには互いに尊敬し合っている何かが感じられた。(略)



私はどちらに対しても「ハイ」と返事をしてそのまま伝えるだけで、いわば「電話線」に等しい存在であった。だが、この二人が直接に会うと実に仲が良さそうなのである。いわば二人は、私を仲介にして遠慮のない口がききあえるという、一種の信頼関係がある仲であった。S老大尉は親切であったし、前述のK中尉も親切であった。そしてA参謀に対しては、「何を言っても大丈夫」という感じを私は持っていた。」



「しかし陸軍とは、いうまでもなく一種のお役所であり、典型的な官僚機構なのである。ところが、私は中小企業者の家庭に生まれ、自分も一生、結局中小企業者として過ごしてきたわけで、あらゆる意味の官僚的感覚というものを、昔も今も全く理解できないわけである。(略)



それは文部省のTさんという事務官と無駄話をしていた時のことであった。Tさんは給仕をしながら夜学に通って事務官になった刻苦精励の人である。彼は給仕時代、何が辛かったといって「ハン取り」ぐらい辛いことはなかったと言った。私は非常に驚いた。(略)



彼は私の顔を見て話をつづけた。「それがお役所というトコなんですよ。山本さんのような編集屋(フリーランス・デディタ―)には想像もつかないでしょ。例えばね、極端な例をいうと、課長の判をもらう前に局長の判をもらっちゃったとしますね。



すると「局長がすでに決裁したのなら、ボクが判を押すことはないだろ」って言って、課長は絶対に判を押してくれないんですよ。ソリャ課長と局長を間違えることはないけど、序列をついうっかり間違えて判をもらうと、もうどうにもならなくなっちゃうんですよ。書類はそこでつっかえてどうにもならない。



すると上へ書類がまわせない。そうなっても絶対だれも同乗してくれないし、かわいそうだから何とかしてやろうと口をきいてくれる人もいないんだ。それどころか「あいつは、ハン取りも満足にできない」って言われてね、イやだったナァー、あれは……」(略)



陸軍もお役所であり、典型的な官僚の世界であり、いたるところで「ハンコ」が必要で「日本軍はハンコがなければ戦争はできない」という冗談があったほどである。」



「部隊印の保管責任者は副官で、I副官は縞の布袋にこの二つの印を入れ、肌身離さずていた。事実これは大切な院で、もし盗用・悪用されて、だれかに勝手に「作命」でも作られたら、その被害は到底「小切手印の盗用」の比ではあるまい。まず副官が切腹ものである。



「百人斬り競争」の野田少尉の「〇官」が「副官」だと知ったとき、この創作記事の悪質さを瞬間的に感じさせたのがこの「印」であった。
大隊命令に押す「印」は野田少尉が保管責任者のはずである。おそらく彼も肌身離さず持っていたであろう。


元来「部下の兵士」といえるものがないに等しい副官が、大隊長を放り出して、印をたままただ一人であっちのトーチカに斬り込んだりこっちの無名部落に斬り込んだりしたら一体どうなることか!



もし野田少尉が一方的にホラを吹き、浅海特派員が無知からそれを信じたのなら、何も伏字するわけはない。副官にはそういう「自由」はありえない_もちろん最下級の少尉には副官であろうとなかろうと「自由」などはないが、特に「嫁」で「印保管責任者」で、部隊長の身の回りから、部隊内の「家政的雑務」までその責任である副官に、そんなことが出来るはずがない。


そしてそのことを知っているがゆえに、これを隠した以外に伏字にした理由はありえない_これを一瞬強く私に印象付けたのが、あの「印」であった。



「ハンコ行政」という言葉を転用すれば、日本軍とは一面「ハンコ軍制」なのである。そしてそれから感じたことは、当時の私はいわば「ハン取り給仕」でありながら、「ハンも満足にとれない」状態にあったのだということである。
いわば「ハン取り」を高級参謀からはじめて、形式的にすぐ参謀長の判をとり、いきなり師団長の判までとってしまって、下級の参謀はいわばツンボ桟敷におかれていたわけであった。



そしてたとえ実質的にはすでに判をもらっても、下級の参謀の顔を立てて、そ知らぬ顔でまずそこから形式的に「ハン取り」をするという才覚が私にはなかった。
そしてこういうことは、官僚組織においては、私には想像できないような大問題だったのであろう。


全軍の滅亡が、否大日本帝国そのものの滅亡が、もう数か月後に迫っているというのに、こういうことでゴタゴタしていたとは読者は意外に思うかも知れない。しかし組織とは元来そういうものかも知れない。


山本夏彦氏が、日本が滅亡し、軍が解体するその時にも、人を押しのけて大将になることのみ考えていた人を指摘しており、また事業の破産が目前に迫っている会社で、椅子争いで足の引っ張り合いをする人もいるわけだから、当時も「ハン取り」の順序が問題にされることもあながち不思議な現象ではないのかも知れない。」