読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (捕虜・空閑少佐を自決させたもの)

「同じ殺人でも、情況によって量刑はかわる。正当防衛なら無罪という場合もありえよう。しかしいずれの場合も「殺人」という行為が法にふれるという点では、基本的には差異はない。



しかし戦犯の実行犯においてはそうでなく、ある人間の同一の行為が戦犯になるかならないかは、その置かれた状況によって全く変わるわけである。これも軍法の特例であろう。
それは通常(一)戦闘行為、(二)戦闘中ノ行為、(三)非戦闘時ノ行為、の三つに分けられる。



そして(一)戦闘行為ハ処罰セズ、であって、たとえば戦闘中は「敵に」手榴弾を投げようが、砲弾を撃ち込もうが、これは当然処罰の対象にならない。この点、正当防衛以上に不問に付される。



しかし、これと全く同じ行為を非戦闘時に行えば、相手が戦闘員であろうと非戦闘員であろうと処罰の対象になる。極端な例をあげれば、観兵式に参列している諸外国の駐在武官にいきなり手榴弾を投げつければ、これはまず軍法会議で「死刑」であろう。(略)



問題は常に(二)で、「戦闘中ノ行為」なのである。すなわち戦闘中に非戦闘員を殺害した場合、あるいは殺害する結果になった場合、これは(一)と見るべきか(三)と見なすべきかという問題である。
これは(三)と見なすべきである。従って、処罰すべきだという考え方は日本側にも連合軍側にもあった。」



「だが、「判決の規準」が存在したということは、その基準が常に正しく適用されたという意味ではない。しかし、適用に問題があったということは、「基準なき首狩り」であったということでもない。と同時にその基準がそのまま正義であったということでもない。



「戦犯とは何か」は「戦争とは何か」を追求する一つの鍵である。だがこれを、その時々の政治情勢や自分の都合に応じて、それを正義の裁きだと言ったり首狩りだといったり、また中国との復交という新しい政治情勢になると、本多勝一記者のように、南京軍事法廷による二少尉の処刑は正しく、東京軍事法廷による二少尉の不起訴は正しくないかの如くいい、さらに、「毛沢東ならこの残虐人間も赦したであろう」といったお追従を結論としていると、永久に何もわからなくなってしまうと思う。



そこでまず「戦犯」というものの一部の基本的な見方から初めて、なぜ向井・野田二少尉が東京不起訴・南京処刑となったかに進もうと思う。これにははっきり理由があるからである。(略)



「陸軍刑法」を「善法」だと言う者はあるまい。否、これこそ「悪法」の典型かも知れぬ。
しかしその「悪法」すら実質的になくなってしまうと、人は、「正義」の名のもとに一種の集団ヒステリーによって簡単に殺されてしまうのである。悪法でもやはり法には「法の保護」がありうる。しかし「集団ヒステリーの保護」はありえない。これはおそらく「赤軍派」や早稲田・法政における「リンチ殺人」についてもいえることであろう。



私は前に、向井・野田両少尉の特別弁護人隆文元氏がつくづく立派だと「文芸春秋」に書いたが、同じことは、後述するように南京の軍事法廷の裁判官にも言えるのである。それは彼らが集団ヒステリー的リンチに絶対に走っていないからであり、現在台湾にいる当時の裁判官の一人が、鈴木明氏に、自分は法律家だから法に従っただけだと自信をもって言い切っているのもうなずける。(略)



このことは戦犯容疑者収容所にいた多くのものが感じていたことでもある。「もしわれわれが勝っていたら、われわれは彼らをこのように扱ったであろうか」という一種の感慨である。



「到底無理だろうな。ヤッチマエー、ブッコロセーだな」と、これがほぼ共通的な意見であった。
私はこれと同じことを「殺人ゲーム」掲載後の雰囲気に感じた。というのは、すでに一年近く経っているのに、「殺人ゲーム」が事実ではないのではないかという疑問を表明しただけで「ヤッチマエー」的な脅迫状が来るからである。


実はこれこそ多くの虐殺事件を引き起こした精神構造そのものであり、そしてそれは「百人斬り競争」を「殺人ゲーム」を報ずる人間と、それに一種酔ったようになる人間の精神構造とも同じであろう。(略)



この傾向は民族性であろうか、それとも戦争中からずっとつづく時代的風潮であろうか。それはわからないが、それにはある一つの転機があったらしいとは言える。それは「空閑少佐の自決事件」と、これを「美談化」した当時のマスコミの態度である。」