読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の中の日本軍 下 (空閑少佐を自決させたもの)

「だが一体全体、軍法会議で「無罪」の彼がなぜ自殺したのか、本当の意味の「自殺」だったのか、それとも何らかの圧力で「自決させられた」実質的な他殺だったのか?(略)




従って、空閑少佐没後昭和十九年まで、こういうさまざまなケースを見てきた部隊長には、振り返って空閑少佐の「自決」を見れば、それが到底本当の意味の「自殺」とは見えなかったとしても不思議ではない。



私にもそうは見えない。_彼は自殺したのでなく、何らかの圧迫」たとえそれが無言の圧迫でも、何かによって「自決させられた」と私も見る。
この古い話がなぜ話題となったか。言うまでもなく、前線のわれわれはいつ空閑少佐と同じ運命に陥るかわからない。


人事不省になり、捕虜になることは当然にありうるであろう。そして捕虜交換で返されたらどうなるか。


陸軍刑法という「悪法」ですら、その者を無罪だといって放免したのに、その悪法以上に恐ろしい「何か」がその者を殺してしまった、という厳然たる事実がわれわれの前にある。



「絶対に日本に帰さないでくれ、返さないでくれれば、何でも言います」これが日本軍の捕虜のお定まりの台詞であることは前に記した。そこにはこの気味の悪い「何か」が、全く得体の知れぬ「何か」がちょうど「殺人ゲーム」後のヒステリー状態のような何かが、「獣兵は名のり出よ」と言った如く「捕虜は名のり出よ」と言ってギラギラ目を光らせており、


その人間が「自決」したら、地に狂ったようなわっという歓声をあげ、新聞はたちまち空閑少佐流の「美談」をその死体に投げかける、と言った感じが、すべての人間にあったからであろう。そしてそうなるくらいなら捕虜でいたままの方が良い、と。」



「私は軍が全く一方的に積極的に政治に関与したという戦後の見方に非常に疑念をもつ。逆に、当時の政治家が、自己の立場を有利にするため、軍を政治に引っ張り込んだという面が確かにある。記録は、特に「自民党の前身」政友会にこの傾向が強かったことを示していると思う。



軍には「軍人勅諭派」という非常に強いブレーキがあったのだが、政争以外眼中にない政治屋が、その手でこのブレーキをはずしたこと、これは否定できない。



ところが戦後その人びとが、一切の責任を軍に押し付け、ケロッとして「オレは戦時中アカだといわれたもんだ」などとヌケヌケと言っていた事実がある。もちろんマスコミにもこれがある。(略)



この弊害は、単に人を殺したというだけではない。責任者の「自決・美談化」は、すべての実態を覆い隠して何もわからなくしてしまう。一体、空閑少佐が捕虜になった時、日本軍がどんな惨憺たる状態であったか、その理由は何か、といった問題は、全く解明されずに、自決を報ずる「詠嘆調・悲壮調」の陰にすべては消えてしまう。」


山本七平氏が本の中で語っている、「愚かな勢力」が、今の時代、現実に
日本を支配して、もはや私たちにはどうにもできないのを実感しています。
自民党片山さつき議員は、はっきりと、「天賦人権論をとるのをやめよう、というのが私たちの基本的考えです。」と言っています。


議論を積み上げるのが苦手な日本人には到底行きつくことが出来ない結論が、天賦人権論だと思います。

それは、何度もくりかえして書いている、あの夜回り先生水谷修氏の人間観が、
はっきり言い表してくれていると思います。

もう一度書きます。

「この世に生まれたくて、生まれる人間はいない。
私たちは、暴力的に投げ出されるようにこの世に誕生する。

両親も
生まれ育つ環境も
容姿も
能力も
みずから選ぶことはできない

何割かの運のいい子どもは、生まれながらにして、幸せのほとんどを
約束されている。
彼らは豊かで愛に満ちた家庭で育ち、多くの笑顔に包まれながら
成長していくだろう。
しかし何割かの運の悪い子どもは、生まれながらにして、不幸を背負わされる。

そして自分の力では抗うことができない不幸に苦しみながら成長していく。
大人たちの勝手な都合で、不幸を強いられるのだ。

そういう子どもたちに不良のレッテルを貼り、夜の街に追い出そうとする
大人を、私は許すわけにはいかない。」

福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず…」と言ったとか。
何故、この片山さつき氏をはじめとする自民党議員に、「人権がある人とない人」の判断が出来るのでしょうか?

そんなこともわからないような自民党議員だからこそ、恐ろしくてならないのです。


最近は、気持ちが落ち込んでやりきれません。
暑さのせいかもしれませんが。