読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の幸福論 (五 自由について)

「私たちのうちには、いつでも成功したいという気持ちが隠れております。この場合成功というのは、なにも大政治家になったり、大芸術家になったりすることを意味しません。


もちろんそういうことも含めていいのですが、もっと小さなこと、たとえば、みなさんが学校でいい成績をおさめたいと思うこと、先生の質問に適切な答えをしたいと思うこと、競技で敵を破りたいと思うこと、さらに学校を出て、いい所へ就職したいと思い、好きな人に愛されたいと思い、職場でも、交友関係でも、家庭でも、無くてはならぬ人になりたいと思う。


つまり一口にいえば、どこでもかしこでも「いい子」になりたいということであり、どんな小さな行為でも、やろうと思っててをつけたことは、うまくやりとおしたいということであります。それは人情の自然で、誰にもあることです。



そして、自分のやることがうまく行っている間は、それらがすべて自分の力でなしえたものであり、自分の力以外になんの理由も原因もない。誰しもそう思いたがるものです。


しかし、それがひとたび失敗すると、どうなるか。それまで成功している間はすべては自分から出たものだという顔をし、それを口にだしていいもした人たちが、今度は急にうろうろと周囲を見回しはじめる。どこかに失敗の原因は無いものだろうかと。」



「みなさんは、こんな風に思う時はないでしょうか。どうせ失敗してしまったなら、それが宿命的なものであって、自分の力でどうとりかえしのつくものでもないと考えた方が、諦めがつきやすい。つまり気が楽というような時が。


なぜ気楽かといえば、自分の力でどうにもならない以上、みなさんは何もしなくていいからであります。これは怠惰と無気力の証拠でありますが、これが徹底しますと、いっそのこと早く失敗してしまった方がいいと望み出すのです。(略)


その例を、私は戦争中にたびたび見聴きし、そのたびに不快感を禁じ得ませんでした。みなさんは憶えているかどうかわかりませんが、もし知らなかったらご両親や先輩に尋ねてごらんなさい。


その例というのはこういうことです。戦争末期、私たちの家はいつ焼かれるかも知れぬ危険に晒されていました。昨夜家を焼かれた親兄弟が、早朝、鍋釜をぶらさげて、自分の家に避難して来る。その自分の家が、その夜に焼かれるという始末でした。


そんなとき、よく人々が口にした言葉は、「家が焼けて、ほっとした」という言葉であります。そういったあとで、彼らはその「奇妙な心理」を自ら分析してこう考える。なぜほっとしたかというと、同胞の家がかたはしから焼かれているのに、自分の家だけ残っていた、それが重荷だったが、今度で、みんなと同じ「無一物」になって「さばさばした」というのです。



それは事実です。ただ、私が不快を感じたのは、こんな時にも、「無一物」だの「さばさばした」だのという、「一種の「同胞感」あるいは「ヒューマニズム」を理由づけに利用する心理であります。



いまから考えれば、この理由づけの噓であることは明らかです。「無一物」になって「さばさばした」のは、同胞に対してではありません。自分に対してであります。当時は、ほとんどすべての国民が破滅への道を急いだのです。


負けたくないという気持ちと同時に、おそらくそれ以上に、無意識のうちでは敗けてしまいたいという気持ちをいだいていたと言えましょう。


敗けて重荷をおろしてしまいたかったのです。勝とうという努力を抛棄し、なにもかも投げ出してしまったあとの、何もしなくていい気楽な状態を私たちは望んでいたのです。



いわば、責任からの逃避であり、自由からの逃避であります。
自由とは、責任のことであり、重荷であります。自由であるためには、私たちの精神はたえず緊張していなければなりません。」


「まえにも申しましたように、自由とは、なにかをなしたい要求、なにかをなしうる能力、なにかをなさねばならぬ責任、この三つのものに支えられております。(略)


はじめのうちは解放されて天国に遊ぶような気もちになれても、十の自由は、それを安易に使っているうちに、逆にいつのまにか十の要求、能力、責任をもつことを、こちらに求めてくるものなのです。お金と同じことで、使った以上どこからか補充してこなければならないのです。



その結果、人は自信を失います。自由を与えられて自信を失うという奇妙な結果が起るのです。そういう心のすきに宿命という観念が慰めにやってくるわけです。」



「無際限の自由には型がありません。そこでは自分というものを実感できません。私が最初に申しましたように、自分というものは、何か障碍にぶつかってはじめて同感できるものなのです。ですから、私たちが自由であるためには、それをしみじみ味わうためには、無際限の自由ではだめなので、それに限界を与え型をはめにくる何ものかが必要なのです。



自分をできうるかぎり拡大して、しかもそれを抑えつけてくれるなにものかが必要なのです。個人の遺伝や環境という過去の枠だけでなく、大きくいえば、歴史とか社会とか、また家庭とか、夫婦、親子、その他すべての人間関係の型がないならば、私たちは自分の存在もたしかめられないし、自由も享受できないでしょう。



のみならず、私たちは本能的にそのことを知っていて、無意識のうちに型を求めているのです。(略)


言いかえれば、私たちはいつでも過去を顧みた時、どうしてもこうせねばならなかったと観念できるように生きたいのです。それが真の意味の宿命というものであります。私はまえに「人相」について語った時、戦争直後の若い人が、戦争指導者に「だまされた」などというのはいけないと申しましたが、その本当の理由は、ここにあるのです。


「だまされた」と平気でいう人たちは戦争中はまだ子供で自分が確立されていなかったから「だまされた」のであり、今日は、自分が確立できたから、その「だまされた」という事実に気づいたというのでしょう。そして「だまされた」自分は自由でなかったが、それに気づいた今の自分は自由に目覚めているとでもいうのでしょう。


そんなことはありません。そういうひとたちは、現在、自分というものに、また自由というものに、この二つの新しい幻影に騙されはじめただけのことです。


こうして「だまされた」をくりかえしていたのでは、私たちは、生涯、永久に自分の宿命に到達できません。顧みて悔いのない生活はできません。先にも言った通り、私たちの欲しているのは、いわゆる幸福で不自由のない生活ではなく、不幸でも、悲しくても、とにかく顧みて悔いのない生涯ということでありましょう。あとで顧みて、いくらでも書き換えのきくような一生を送りたくないものです。



もちろん過去のあやまちを認め、これをただすのはいい。なるほど部分的には、そういうことも起こりましょう。しかし根本的には、私たちは私たち自身の過去を否定してはなりません。どんな失敗をしても、どんな悪事を働いてもいいから、それが自分の本質とかかわりがない偶然のもの、あるいは他から強いられてやったもので、本来の自分の意志ではないというような顔をしないこと、自分の過去を自分の宿命として認める事、それが真の意味の自由を身につける第一歩です。



自分の過去を否定し、それを間違いだと言って憚らぬのは、結局、自分の出発点を失うことになり、未来の自分をも葬り去ることになります。宿命を認めないことは、自由を棄てることになります。



自由と宿命との関係は大変難しいもので、私には、多くのひとが重い違いをしているとしか考えられません。今日、自由平等を強調する人たちは、やりようによっては、人間には何でもできると思い込んでいる。十九世紀の末、一度、行き詰まりに陥った自然科学も、最近では原子力の利用によってふたたび活気づき、それに社会科学の発達がむすびついて、人々は人間の未来を前途洋々たるもののように思いがちです。


が、これは明らかに錯覚です。自由には限界があるばかりでなく、その限界がなければ、私たちは自分が自由であると感じる喜びさえ、もちえないのです。この限界を取り外してしまうと、自由は自由ではなくなり、苦痛をなります。無際限な自由は、実は自由そのものにとって、邪魔物とさえなるのです。


私たちは出発点に於いても、また終着点に於いても、宿命を必要とします。いいかえれば、初めから宿命を負って生まれて来たのであり、最後には宿命の前に屈服するのだと覚悟して、はじめて、私たちはその限界内で、自由を享受し、のびのびと生きることができるのです。



そうしないで、いたずらに自由を求めてばかりいると、落ち着きのない生活を送らねばならなくなります。みんな神経衰弱に陥ってしまいます。神経衰弱、あるいは現代の流行語でいえばノイローゼというのは、自分を操る術を失うことです。何でも操れる自由をものにしようとしたため、自分自身が操れなくなるという奇妙な結果に陥るのです。


これだけで十分わかっていただけたとは思いませんが、私がこの「私の幸福論」で申し上げたいのは、結局、この一事です。あとはみなさんの質問に答えながら、具体的な問題について、詳しくお話していきたいと思います。以上はそのはしがきであり、本論でもあるわけです。」


〇 とても難しい内容だと思います。宿命を受け入れよ、ということに関しては、その通りだと、思います。というより、宿命を受け入れざるを得ない状況の中で私たちは生きています。この時代に、この国の、この両親の子として生まれ、性別も容貌も能力も自分では選べない…。何度もくりかえし引き合いに出している、あの「夜回り先生」の文章の通りです。

でも、だからと言って、軍人が戦争を始めたこと、その戦争を肯定的に捉えたこと、天皇陛下万歳!と言って死んで行った特攻隊を賛美したことまで、「他から強いられたことではない、自分本来の意志だった」と受け入れなければならないものなのでしょうか。

ただ、この福田氏が言わんとしていることは、なんとなく、わかるような気もするのです。「私がこの「私の幸福論」で申し上げたいのは、結局、この一事です。」というほどに、宿命を受け入れられない心に落ち着きや平安や幸福はないだろな、と私も思います。


でも、ここに挙げられている具体例は、今の私には、いちいち引っかかります。

それで、思い出した「二ーバーの祈り」を載せて、もう少し考えてみたいと思います。

ニーバーの祈り
神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。