読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私の幸福論 (七 教養について) つづき


「さきに引用したロレンスの「自分を演じている」ということと、「力をぬいた手」ということとの関係は、これでおわかりだと思います。森番のメラーズは、愛人のコニーとその姉のヒルダとの前で、適切に自分の力を用いているのです。おそらく自分たちの結婚に反対であろうヒルダは、第一に貴族であり、第二に女であります。



それに対して自分は森番であり、男であります。つまり、敵は階級的には自分の上位に立つ強者ですが、同時に弱い女性であります。しかも、自分の身かたであるコニーの肉身です。いま、そのコニーが同席している。こういう微妙な力学的関係の中に身を置いて、メラーズは自分の位置をはっきり定めなければなりません。



自分が押しのけられないようにしなければならない。それには、卑屈や不安は禁物です。といって、相手を押しのけてもいけない。が、時と場合によっては、相手を押しのける力をも蔵していなければならぬのです。



それがメラーズの「沈黙と孤絶」であり、そこにヒルダは自分を押しのけうる「この男の力を感じた」のです。また、そういうふうに自分を位置づけている、いいかえれば「自分を演じている」男の心理を、ヒルダはそのまま彼の「小さな、感じやすい、力をぬいた手」のうちに読み取ったのです。



みなさんは、こういうことをたいそう複雑な心理のように思うかもしれません。が、これはべつに特別な事ではありません。誰もが無意識のうちにやっていることです。対人関係において、私たちはつねに自分の在るべき位置の測定をおこなっているのです。



自分の位置を発見しなければ、自分は存在しさえしないのです。ただ、でたらめに人中にあるだけなら、それは物体として在るだけです。人間として在るためには、自分の位置を発見しなければならない。そこに居合わせる人たちとの関係を明確に意識して、あるいは無意識のうちにそれを感じ取っていてこそ、自分ははじめて存在するのです。



群衆の中においては、それは不可能です。他人との関係を正しく測定して自分を操ることはできない。逆に、群衆という関係に操られるだけです。つまり、それは、人間であることをやめて、物体に転落することです。



こういうふうに自分の位置を測定する能力、しかも、たえず流動変化する諸関係のなかで適切に行動する能力、そのみごとさが教養というものであります。機械に置けると同様、それは「性能の良さ」とでもいうべきものではないでしょうか。



それが、現在の学校教育では授けられない。そこに家庭というものの意義があるのでしょう。が、その家庭も、今日では、すっかり自信を失ってしまっている。ヒルダではないが、現代では、「生まれながらにして」そういう能力をもった人間にのみ期待するしかないのかもしれません。



最近、私は東海道豊橋から信州の辰野にぬける飯田線に乗りましたが、たまたま飯田を過ぎた頃、どの駅だか忘れましたが、一見、姑と嫁と思われる二人づれが乗り込んできました。二人は私の隣りに腰をおろし、しばらく世間話を交わしておりましたが、その姑らしい六十歳あまりの老女が、いきなり私を顧みて、「窓を開けたいと思うが、迷惑ではないか」と問いかけてまいりました。



私は驚いた。私は大磯に住んでいて、東京に出るのに湘南電車を用いますが、それに乗り合わせた紳士淑女から、こういう鄭重な言葉を聴いたことは、まず記憶にありません。その老女は身なりの賤しい人でした。


おそらく小学校くらいしか出ていないでしょう。あるいはそれも怪しい。それに「封建的」であるはずの「田舎者」かつ「老人」であります。その人の口から、私たちが見倣えといわれている西洋人の近代的なエチケットが飛び出してきたのです。



が、私はたんたんなるエチケットや作法のことを言っているのではありません。右の例における老女は、ふだんそういうエチケットを守っているとは思えない。その人の住んでいる町や村で、汽車の窓を開ける時の作法が教え込まれているとも考えられません。



おそらく、それは、私を土地のものではない旅行者と見ての、よそいきの挨拶だったのでしょう。つまり、老女は平生、見慣れぬ者に対して、それだけの距離を保って自分を位置づけたのでしょう。



だから、私は感心するのです。日常的でないものにぶつかった時、即座に応用がきくということ、それが教養というものです。汽車の窓を開ける時、即座に応用がきくということ、それが教養というものです。



汽車の窓を開ける時の作法そのものは教育されていなかったかも知れないが、それに通じるしつけは施されていたのであり、そのしつけによって身についているものを、私たちは教養と呼ぶのです。



教養ということについて、もう一つ重要なことがあります。さきに、私は、家庭や村や国などの共同体には、それに固有の「生き方」があると同時に、個人は個人で、それを受け継ぎながら、それを破る「生き方」があると申しました。すなわち、共同体としての教養と、個人の教養とがあるわけです。



問題は、共同体の教養を破る破り方です。それが人によって、ずいぶん違ってくる。極端な場合、まったく無作法な人がいる。時には、ただ破る為に破り、抵抗の為に抵抗している人もある。



一般的な観念からいえば、私たちはそういう人を教養がないという以外に仕方はありません。が、それにも関わらず、そのやり方に味があり、魅力があるという場合が、しばしばあります。それはどうしてでしょうか。たんなる無教養人と、どこが違うのでしょうか。



そういう人をよく観察してごらんなさい。いくら抵抗のための抵抗でも、かれがどんなに天邪鬼でも、そんな場合、そこには、きっと余裕があるものです。くそまじめなもの、自棄的なもの、敗北主義的なもの、あるいは、「正義、われにあり」といった押し付けがましいもの、そんな要素が一切ありません。



そこには、自分の自然に即した素直さがあり、抵抗しながらも、代々受け継がれてきた教養を認める余裕があります。この余裕からユーモアというものが生じる。あるいは機智が生じるf。そして、こういうユーモアや機智は、その人の教養を物語るものなのであります。


今日、いろいろな意見や勢力の対立抗争を見てごらんなさい。どこにもユーモアや機智の潤滑油が見られない。教養が欠けている証拠ですが、そのために事を一層面倒にえいるように思われます。



もちろん、逆に、いわゆる教養ある人にも、このユーモアや機智が必要であります。つまり、無教養人に対して余裕を持つことが必要なのです。ということは、相手の立場を認めることであり、また、いわゆる教養というものの限界を自覚していることであります。



この余裕がないと、自分の正義をふりかざして、他を責めるということになりかねません。うしろ指一本さされぬように身を持している、くそまじめな人が陥りがちなわなが、そこにあります。それでは真の教養人とはいえません。たんに過去のしきたりとしての礼儀作法を知っているというだけのことにすぎない。



私が学校教育や読書から得られる知識に重きをおかないのは、やはり同じ理由からです。人々は知識を得るということに、根本的な錯覚をいだいている。人々はなにかを知るということによって、より高く飛べるようになると思っているようです。いままで知らなかった世界が開けてくると思うのでしょう。



が、それは半面の真理にすぎない。なるほど、峠の上に立った人は、谷間に蠢いている人より、周囲をよく見渡せるかもしれません。が、こういうことも考えてみなければならない。一つの峠に立ったということは、それまで視界を遮っていたその峠を除去したことであると同時に、また別のいくつかの峠を自分の目の前に発見するということであります。




あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります。




さらに、それは、そのもっと大きな世界を知らなければならぬという責任を引き受けたことを意味します。とすれば、何かを知るということは、身軽に飛ぶことではなく、重荷を負って背をかがめることになるのです。人々は知識というものについて、その実感を欠いていはしないでしょうか。



大抵の人が、新しく知ったことについて、いい気になりすぎる。それにばかり眼を注いでいるものですから、かえってほかのことが見えなくなる。峠の上で自分が新しく知ったことだけが、知るに値する大事なことだと思い込んで、それにまだ気づかぬ谷間の人々を軽蔑する。



あるいは、憂国の志を起こして、その人たちに教え込もうとする。が、そういう自分には、もう谷間の石ころが見えなくなっていることを忘れているのです。同時に見出したばかりの新世界にのみ心を奪われて、未知の世界に背を向けている自分に気づかずにいるのです。




こうして、知識は人々に余裕を失わせます。いや、逆かも知れない。知識の重荷を背負う余裕のにない人、それだけの余力のない人が、それを背負い込んだので、そういう結果になるのかも知れません。というのも、知識が重荷だという実感に欠けているからでしょう。もっと皮肉にいえば、それを重荷と感じるほど知識を十分に背負い込まずに、いい加減で済ませているからでしょう。



しかし、本人が実感しようとしまいと、知識は重荷であります。自分の体力以上にそれを背負い込んでよろめいていれば、周囲を顧みる余裕のないのは当然です。それが無意識のうちに、人々の神経を傷つける。みんないらいらしてくる。そうなればなるほど、自分の新しく知った知識にしがみつき、それを知らない人たちに当たり散らずうことになる。そしてますます余裕を失うのです。




家庭における親子の対立などというものも、大抵はその程度のことです。旧世代と新世代の対立というのも、そんなものです。が、新世代は、自分の新しく知った知識が、刻々に古くなりつつあるのに気付かない。ですから、あるときがくると、また別の新しい知識を強いれた新世代の出現に出遭って愕然とするのです。



その時になってはじめて、かれらは自分には荷の勝過ぎた知識であったことに気づき、あまりにもいさぎよくそれを投げ捨ててしまう。すなわち、自分を旧世代のなかに編入するのです。



とにかく、知識のある人ほど、いらいらしているという実情は、困ったものです。もっと余裕がほしいと思います。知識は余裕をともなわねば、教養のうちに取りいれられません。ロレンスの例が、またここにもあてはまります。対人関係において、自分の位置を発見し、そうすることによって、自分を存在せしめ主張するのと同様に、知識に対しても、自分の位置を発見し、そうすることによって、知識を、そして自分を自由に操らなければなりません。さもなければ、荷物の知識に、逆に操られてしまうでしょう。



知識にたいして自分の位置を定めるというのは、その知識と自分との距離を測定することです。この一定の距離を隔てるというのが、とりもなおさず、余裕をつくることであり、力をぬくことであります。繰り返し申しますが、それが教養というものなのです。



ここから、おのずと読書法が出てまいります。本は、距離を置いて読まねばなりません。早く読むことは自慢にはならない。それは、あまりにも著者の意のままになることか、あるいはあまりにも自己流に読むことか、どちらかです。どちらもいけない。



本を読むことは、本と、またその著者と対話をすることです。本は、問うたり、答えたりしながら読まねばなりません。要するに、読書は精神上の力比べであります。本の背後にある著者の思想や生き方と、読む自分の思想や生き方と、この両者の闘いなのです。そのことは、自分を否定するような本についてばかりでなく、自分を肯定してくれるような本についてもいえます。




実は、そういう本ほど注意しなければならない。たとえば、「青年は旧道徳に盲従してはならぬ」というようなことを書いた本があるとする。それを読んで、自分の思っていた通りのことを言ってくれたと思うかも知れませんが、もし著者と会ってよく話してみたなら、「あなたのはいきすぎだ」といわれるかもしれないのです。



なぜなら、「青年は旧道徳に盲従してはならぬ」というのは抽象的な命題で、その命題が、いま自分の当面している具体的な問題にもあてはまるかどうかは、また別問題です。



したがって、本を読む時には、一見、自分に都合のいいことが書いてあっても、そこまで著者が認めてくれるかどうか、そういう細心の注意を払いながら、一行一行、問答をかわして読み進んで行かなければなりません。自分を否定するような本についても同様です。


字面では否定されているが、自分のぶつかっているこの問題については、あるいは著者も自分の生き方を認めるかも知れない。そういう風に自分を主張しながら、行間に割り込んでいかねばなりません。



それが知識に対して自分の居場所を打ち立てるということです。本はそう言う風に読んで、はじめて教養となりましょう。」



〇正直、教養という言葉の意味が読めば読むほど、よくわからなくなりました。
ただ、この読書に限って感想を言えば、もともと私は著者の書いた文章を自分の汲み取りたいように、読んでしまう癖があるような気がします。

著者とは、話が出来ません。質問してあなたはどういう意図でこの文章を書いたのですか?と訊くことが叶わないのが実情なので、その情況をよいことに、ますます、自分の好みの内容にくみ取ってしまいます。

こちらの読解力の問題もありますので、それはしょうがないことではないかと
思って、ある意味では、開き直っています。

そして、もう一つ、開き直っているのは、この年まで生きて来て、今しみじみと、
心から思うのは、人は本当に、見事に一人一人違う、ということです。

中学の頃、大親友だと思い、その後もきれぎれながら、今日に至るまで、コンタクトを取り続けている、(多分片思いかも知れない)友人がいるのですが、最近話をすると、多分このことについては、絶対に分かり合えないだろうから、話題に出すのはやめよう、と思うようなことが、いくつか、あるのです。


大好きな人、と思っていても、その話をすれば、多分喧嘩別れになるだろう、と思います。

だから、そのことは、話題に出しません。そういう形で、仲よくしています。

つまり、分かり合えないことのない他者はいないのではないか、と思います。
全てなんでも分かり合える、と思い込んでいたのは、私が子供だったからなのだ、と今は思っています。


そうなると、著者と読者である私だって、分かり合えるはずがない。
今、こうしてこの文章を書いている私と、これを読む人だって、どこまで
分かり合えるかわからない。

そんな状況の中に投げ込まれて生きているのが、私たち人間。

それが現実。

そう一旦、(絶望すれば)、その限界状況の中で、だったら、どうせ、分かり合えないのなら、私は私の思っていることを私の言葉で言って見ても構わないのでは?
と思えてくるのです。

それで、やっとこうして、思ったことを書いて見ているのです。

この、「教養について」に関しては、もう少しあれこれ、考えてみたいと思います。