読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「個人
「個人」という言葉は明治になってから出来たもので、はじめは「一個人」といっていたようです(「日本国語大辞典」)。

何ものにもそくしない、ひとり立ちした人間がいなかったから、「個人」という言葉が、いらなかったのです。江戸時代のことを考えてみましょう。
サムライはサブラフから転じたもので、サブラフとは主君の警護に、そばに仕えることです。



町人は町組に属してはいましたが、独立して商売ができた限りで個人だったといえます。農民は全部ムラに属していました。だが女は格が低いので表立った席にはでられません。(略)



個人で思いついたことをするのは、難しいことでした。明治のはじめ、西洋の本を訳したとき、「自由」に、「きまま」というふり仮名をつけるほど、自由な行いは禁物でした。



ひとりが勝手なことをするのは、ムラでは悪いことでした。大正の時代でも個人主義はよくない考えだと中学で教えられました。


人間は幸福になるためには、めいめいのもっている天分を自由にのばさないといけないというのが個人主義ですが、そういう考えが通用するようになったのは戦後です。


戦前は日本の国全体がムラでした。ムラが戦争をしようということになったら、個人として不服を唱えられませんでした。
それにこりて戦後、あたらしい憲法をつくって、次の条文をたてたのです。
「すべて国民は、個人として尊重される}(第13条)


それなのに、まだ人を個人として認めるようになっていません。ほかの人の生活の迷惑になるのでなかったら、その人の好きでやっていることは大目にみるという態度がありません。学校で校則を先生だけできめて、生徒の髪の長さや、服の色や、カバンの形を生徒の好みにまかせないのは、生徒を個人として尊重していないのです。



生徒の外観を均一にしてしまっては、ひとりひとりの生徒の好みがわからなくなります。個性にあった教育をしようと思わないから、校則をつくって、人間を規格品にしてしまうのです。


「キミとぼくは一心同体だ」と夫が妻にいうのは、妻を独立した個人と認めないからです。自分の手足のように、思うままにつかえると思っているのです。」