読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(私物命令・気魄という名の演技)

「将校にももちろんこれがあった。そして辻政信に関する多くのエピソードは、彼が「気魄演技」とそれをもとにした演出の天才だったことを示している。そしてロハスを処刑せよとか、捕虜を全員ぶった斬れとかいった無理難題の殆どすべてが、いつしか習慣化した虚構の「気魄誇示」の自己演出になっていた。



そして演出はひとつの表現だから、すぐマンネリになる。するとそれを打破すべく誇大表現になり、。それがマンネリ化すればさらに誇大になり、その誇大化は中毒患者の麻薬のようにふえていき、まず本人が、それをやらねば精神の安定が得られぬ異常者になっていく。



確かに人生には、そして特に戦闘には「何ものにも屈せず立ち向かっていく強い精神力」が要請される。だがこういう意味の精神力と”強がり演技”にすぎないヒステリカルな「気魄誇示」とは、本来、無関係なはずであった。



真のそれはむしろ、静かなる強靭な勇気と一種の自省力のはずであり、この本物と偽物との差は、最後の最後まで事を投げず、絶対に絶望せず、絶えず執拗に方法論を探求し、目的に到達しうるまで試行と模索を重ねていけるねばり強い精神力と、芝居ががった大言壮語とジェスチュア、無謀かつ無意味な”私物命令”とそれへの反論を封ずる罵詈讒謗の連発との違いに表れていた。




精神力とは、これらの気魄誇示屋の圧迫を平然と無視して、罵詈讒謗には目もくれず、何度でもやりなおしを演じて完璧を期し、ついに完全成功を克ち得たキスカ島撤退作戦の指揮官がもっていたような精神の力であろう。そしてこの精神が最も欠如していたのが「気魄誇示屋」なのだが、あらゆる方面で主導権を握っているのが、この「気魄誇示屋」というガンであった。



それはどこの部隊にも、どこの司令部にも必ず一人か二人いた。みな、始末に負えない小型”辻政信”、すなわち言って言って言いまくるという形の”気魄誇示”の演技屋であった。結局、この演技屋にはだれも抵抗できなくなり、その者が主導権を握る。



すると、平然と始末に負えない「私物命令」が流れて来る。そしてこれが、何度くりかえしても言い足りないほど「始末に負えない」ものであった。というのは彼らが生きていたのは演技の世界すなわち虚構の世界だったが、前線の部隊が対処しなければならないのは、現実の世界だったからである。



その上さらに始末が悪いことには、彼らはその口頭命令に絶対責任を持たなかったのである。まずくなれば「オレがそんなこと言うはずがあるか」ですむ。「筆記命令をくれ」という理由はそこにある。しかしその筆記命令ですら、彼らが責任を負わないことは、神保中佐が証明している。


〇 安倍首相のことを思い浮かべながら読んでいます。



「そしてこの、何万人を虐殺しようとなんの責任も負わないですむ気魄演技屋にどう対処するかが、前線部隊にとっては、実は、敵にどう対処するか以上の、やっかいきわまる問題だった。
特に、部隊本部付で司令部との連絡係をやっている将校にとっては、この種の参謀との折衝は、文字通り、神経を消耗しつくし、木が変になって来そうな仕事であった。


帝国陸軍の下級将校の多くは、敵よりも、これに苦しめられ、そして戦況がひどくなって現実と演技者のギャップがませばますほど、この苦しみは極限まで加重していった。


「こりゃもうダメだ。K参謀ならともかく、かのN参謀までがこう言いだしては。もうどうにもならないんだな。」十九年の九月末、バギオの司令部を出て、二日がかりで部隊の駐留地イギグまで帰る途中、便乗した師団の連絡車のトラックの上で、私は考えつづけた。



もちろんその背後には、N少佐参謀から、「キサマ、それでも砲兵か」とさんざん怒鳴られて、どうにもならなくなった耐えられぬ不快感と敗北感があったことは否定できない。問題は、観測機材が皆無のこと、砲弾の輸送が不可能なこと、そのため砲兵は何もできないで日を送っているのに、一方では司令部から米軍の上陸はすでに、二、三カ月後に迫っているのに「砲兵ハ一体ナニシトルノカ」と、まるでののしるような口調で、戦備完了を日夜督促されていること。



だが、いくら督促されても、「できないことは、できない」こと。
「だから、何とかしてくれ」と頼みに行ったわけである。ところがその返事たるや「ナンだと。機材がないからどうにもならんと、砲弾が輸送できんからどうもならんダと。どうにもならんですむか!キサマそれでも将校か。ここをどこだと心得トル。



ここは戦場じゃぞ。これがないこれがないから出来ません、あれがないから出来ませんでは戦はできんのだ。将校たるものがそんな気魄のないことでどうなる。砲弾は人力で運べ。住民がいるじゃろう。それを組織化して戦力に役立たせるのがキサマの任務じゃろう。任務を完遂せんで何やかやと司令部に言って来オル。



このバカモンが!砲を押して敵に突撃するぐらいの気魄がなくてナンで決戦ができるか。この腰抜けが!……」延々と無限につづく罵詈雑言。
悲しいとか口惜しいとか言うのではない。むしろ何ともいえない空虚感であった。そしてこういうとき不意に思い出されてくるのが、衛生兵を志願した木村さんの颯爽たる印象であった。



結局私も、その場その場の摩擦をさけている一人にすぎなかった。それがこの状態を招来したにすぎない。そしてその感じが空虚感になった。(略)
やがて起点のキャンプワンであろう。そのころになって、私はやっと少し落ち着いたのであろう。「N参謀だったから、あれだけのことを言ってもあれですんだんだな。あれが小型”辻政信”のドロガメ参謀だったら、今ごろは歯が四、五本折れて、顔が変形していただろう」と思い返した。




だが落ち着きを取り戻し、部隊長の顔を思い出すと急に心配になってきたのが「住民を組織化して運べ」という参謀の言葉が、単なる言いまくりのための放言か、一種の「口達命令」かわからなくなってきたことである。



それは、辻政信の「言いまくり」がそのまま”命令”となる「私物命令」の世界では、当然の危惧なのだが、「帝国陸軍統帥権絶対神話」が今も生きている日本、そのため真の元凶、真の責任者が平然と復活し、活躍し、権威と名声をほしいままになし得た戦後の日本では、今も人が信じない一つの事実なのである。」