読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」)

なぜこういう奇妙なことになったのか。その基本的な理由は、「私の中の日本軍」を記した時より、オイル・ショック後の今日の方が理解しやすいであろう。軍人は二言目には「日清・日露の……」と言った。日露戦争時までは、戦艦、イギリス炭、下瀬火薬、小銃があれば戦争はできた。



また砲兵では、測地という技術がなく、第一次大戦のような統一使用による猛威は発揮できず、せいぜい中隊単位でポツン、ポツンと射撃しているにすぎなかった。(略)



だが第一次大戦ですべての様相が一変し、まず石油と補給力が決定的要素、これがなければ、前線の機能は一切停止することが証明された。だが日本には石油もないし、加速度的にまして行く消耗戦に耐えうる資源も国力もない。(略)



この程度が基準なら、補給は輜重車という名の一頭だての荷車でもよい。だが、こういった日露戦争的前提は、すでに完全になくなっていた。そして前提がなくなっているのに、それに目をつぶって前提は変わっていないとしたとき、帝国陸軍はすでに虚構の存在になっていた。



それは、石油が途絶すれば、石油を前提とした全日本の産業機構は、その前提に立つ限り虚構の存在になるのと同じである。そのとき大発電設備を誇示し、観艦式的に時々動かして国民を安心させれば、石油なき帝国海軍の大和になる。そしてそうやって経済成長時の”栄光”を口にしてそれを模範とせよと強調するなら、そのこと自体が無意味な妄想を書き立てるにすぎない。


だが、このような前提の変化に、われわれは常に対処しそこなう。



その結果、あらゆる組織は無意味・無目的の”自転”をはじめ、その”自転”が無意味でないことを自己に納得させるため、虚構の世界に入ってしまう。そしてそれが虚構でないように見せる演技が「気魄誇示」であり、そのため「事実」を口にした者には、「気魄」を持ちだして徹底的な罵詈讒謗を加えて、その口を封ずる意外に方法がなくなる。




それが”組織の自転””辻政信型言いまくり””兵隊の要領”を生み出した根本的な原因であった。そしてこの三つはとめどもなき悪循環を重ねて行く。
それは当然、教育にまで及んでいた。豊橋の予備士官学校でうけた教育は、一定の前提がない限り効果を発揮し得ない。



その前提が皆無だからこれまた虚構の「演技教育」を受けたに等しい。すべては無駄であり、実効性はなく、実戦の場に役立つ教育訓練はなく、そのための一切の努力は無意味になる。



それがまた”気魄屋”と”自転””要領”の悪循環に拍車をかけ、同時に、何ともならぬという悲壮感だけを生む。その悲壮感だけは、虚構の中の唯一の心理的現実だから、この心理的現実に基づく「気魄演技」はまず本人を盲目にし、それだけが現実に対処する道だと信じ込ませるから、他人をひっぱって同じ虚構の世界に引きずり込む。



醒めている者にはそれがわかっても、仲間うちの摩擦はさける。そしてこういう絶対化された虚構と現実との間にはさまれた人間は、どうにもこうにも方法がないという状態におかれてしまう。」




「「筆記電話を送るとすぐ軍兵器廠サンホセ出張所に出かけた。屋根も壁もすべてトタン張り、窓が皆無でムーッとする精米所付属の米倉庫、だがその中には米は一袋もう、マニラから鉄道で送られてきた四千発の野砲弾と八千発の自走砲弾がうず高くつまれている。



野砲弾は日本製、押収自走砲の砲弾は言うまでもなくアメリ製である。日本製は四発ずつが木箱に入っており、アメリカ製は一発ずつが円筒型の黒い筒に入っている。私はアメリカ製を調べてみた。何とその筒は、芯にコールタールを入れて防湿してあるが、驚くほど頑丈で軽くて部厚い、板のようなクラフト紙の円筒なのである。



その構造は一言でいえば、免状等を入れる紙筒と同じであった。「便利にできてやがる」私は内心でつぶやいた。日本製は四発ずつが釘付けの部厚い木箱、その中は防湿用のい四角い缶で、その構造は一言でいえば粗雑きわまる釘づけの「茶箱」に荒縄をかけた形である。




砲弾を野積みの状態で不意の急襲をうけた際、アメリカ側は紙筒の蓋をとればすぐ応射できるが、日本側は荒縄をぶった切り、木箱をこじあけ、中の缶をあけない限り、応射はできない。



だがそれが出来れば、まだよい。敵がいつ上陸するかわからないのに、木箱をこじあけたくてもその木箱すら砲側になく、約二百キロ後方の米倉庫に積まれている。この現状が帝国陸軍であった。」






「(略)観兵式で見るその勇姿は、確かに、すべての砲兵がほれぼれするほど素晴らしかった。それは確かに事実であり、そういう砲が大正十一年式のシュナイデル製の模造品である十榴に混在していた。



ところが戦後に収容所できくと「あんなやっかいな砲はなかったですよ」が兵士の返事である。なぜか?砲は口径が大きくなるほど発射速度が落ちる。ところが九六式十五榴はこの点が改良されて、恐るべき発射速度をもち、雨のように重砲弾を一点に集中できるその性能は、あらゆる面で世界一のはずであった。確かにその通り。




ところが、それだけの砲弾を砲側に運ぼうとすれば、強大な補給能力が要請される。だがそれを誰も考えない。砲が立派ならそれでよいのである。そのため世界最高の発射速度に対応すべく、兵士が十五榴の砲弾をかつぎ、安全な収積所から砲側まで、死物狂いで駆け出して往復せねば発射速度に追いつかない。


そして荒縄をぶった切り、箱をこじあけ……。それは戦後日本の経済の二重構造の原型のような姿であった。そして私はいま、その問題を極大化したような問題に突き当たっていた。これは「気魄」で解決できる問題ではない。




案内をしてくれた出張所の准尉は、大本営と軍司令部を罵りつづけた。何しろ一方が「マニラまで送りゃあとは知らんよ」であり、次が「鉄道の終点までとどけりゃあとは知らんよ」。みな「放っときゃ何とかするだろう」だというのである。



出張所での彼の部下は六人しかおらず、あとはフィリピン人の人夫である。この人夫にゲリラが手を伸ばし、時限装置つきダイナマイトを仕掛けられたらどうなるのか。だがいかに心配したとて精米工場付属倉庫に砲弾があることは全住民が知っている。(略)




「人夫を集める方法はないか」それをしてくれたら持って行く、という意味も込めて私はきいた。「到底無理」が彼の返事だった。(略)


一体この状態で、住民を強制徴用して人海作戦で運ばすとなったら、どうなるのか。野砲弾四発の一箱は短距離なら一人でかつげる。また少し軽い野砲弾は駄馬一頭に十二発つむが、長距離の場合は駄馬ですら八発である。



人間の駄載力は、死物狂いで短距離で駄馬の三分の一。それは山砲で、砲身馬という特別頑丈な馬が一頭で運べる砲身を、三人でかつぐと地獄の責苦になることでわかる。まして熱地、しかも長距離。カワヤンから舟で運ぶにしても、そこまでが百キロ以上。その間にはバレテ、オリオンの二峠がある。バレテは峻険、オリオンはなだらかだが、こちらは道路の両側は木が皆無に等しい丘陵地。しかも水が皆無。」


(つづく)