読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち)

将官だけでなく、帝国陸軍そのものがきわめてこれと似た状態にあり、従ってその意味での無責任・無反省集団であって、それは、軍の内部ですら批判のあった「処罰されるべき人間が”人間的和によって”逆に昇進した」という事例に、よく現れている。(略)





だがこの責任感という言葉は「自らの発想、自らの決断、それに基づく自らの意志で行った故に私の責任である。それを非とされるなら、軍法会議という公の法廷で争おう」という意味の責任とは全く別の言葉、むしろその逆であって、自らの責任を回避するため盲従すること、いわば命令への盲従度を計る言葉であった。



帝国陸軍には、客観的な「法」が存在するという意識も、将官であれ二等兵であれ、法に基づく「法的秩序」に等しく従うべきだという考え方も皆無であった


従って、たとえば、砲弾のない砲を、人力で三百キロ引っ張って来いと命令されたら、そのため部下を何人殺そうと命令に盲従して引っ張ってくれば「責任感旺盛」な立派な将校だが、自らの決断、自らの責任で砲をパラナン川にたたきこめば、それは、自決させるべき破廉恥な無責任将校であった。(略)



砲弾のない砲を、あるいは爆破しあるいは捨てたため、多くの下級砲兵将校は、自決し自決させられ、また死地に出されて帰らなかった。前述のように砲兵は「……火砲ト運命ヲトモニスベシ」であり、砲を失ったら、少なくともその直接責任者である下級将校は、生きていてはならない。



これは、「刀は武士の魂」と武器を神聖視、これを奪取されれば切腹を強いられた徳川時代以来の伝統と思うが、その点では砲兵も、乗機と運命を共にする「特攻」と変わりはなく、特高だけが特異な現象ではない。」


〇この本を読んで、斬込隊が座布団爆雷を持って戦車に飛びつく、というのも、
特攻隊と同じだと知りました。帝国陸軍は、人命を全てそのように扱っていたのだと改めてわかりました。


「戦後、そのため自決させられた下級砲兵将校の話を聞くたびに、私は一種、身につまされる思いがする。前述のように私は、正規の筆記命令なく自らの手で、野砲・自走砲・十二榴など四門をアパリ正面で爆破し、サンホセ盆地へ撤収の途次、旧式山砲一門をカガヤン川の支流に叩き込めと命じた。そしてこの命令は明確に私の独断であった。(略)


これを話した時、「やれやれ山本さんよ、日本が徹底的に負けて良かったな。たとえ勝たなくとも、ノモンハン型の停戦だったら、あなたなんぞ、何度腹を切らされても追いつかなかったよ。なんで気易く、正規の筆記命令もなしにそんな役目を引き受けたのさ」などと言われ、また前述のAさんは、私が書いたものを読むたびに、「彼がものを書くとは、いいご時勢なんだね。ありゃあ、元来は軍法会議で銃殺もんなんだよ。え、小野田さん、ああ、ああやりゃ昔も今も金鵄勲章ものさ」と冗談交じりに言う。


私がそのとき和気藹々たる閣下たちに感じた異常な違和感の背後には、このことがあった。この閣下たちのうちのだれかは、おそらく誰かを自決させるか自決に追い込んでいるかは、しているであろう。



そして、情況のほんのわずかの変化で、それは私であったろう。ではこの人たちはたとえ「オレを自決させておいても、平気で、こうやって和気藹々と句会をやっていけるわけか」と言うに言われぬ異様な感じである。それは人びとが、獄中の永田洋子から受けたであろう感じとは、到底比較にならない、一種、もう表現しきれないような異様な感じであった。」