読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(参謀のシナリオと演技の跡)

「だが、前述のように、この名ばかりの一個中隊は、各中隊がそれぞれ、動けない病人と、動かせないで捨てて行った砲とで臨時に編成したものであり、そのため内部はバラバラであった。



中隊長役のS大尉は、名ばかりの指揮班と段列(弾薬糧秣輸送・補給班)をつれ、歩兵といっしょに「先行」していた。進撃のときならこれが、部分的には「砲兵操典」通りの行動である。が、いまわれわれは進撃しているのであろうか。



日本軍には退却はないから、確かにわれわれは、サンホセ盆地に進撃しているのであって「逃げ込んで」いるのではない_少なくとも名目上は。従ってS大尉の行動は「非の打ちどころがない」のであり、その責務を遂行していないのは、遅れに遅れている戦砲隊だということになり、その責任者は私だということになるわけであった。虚構は次々に「虚構の正当性」を生み出していく。(略)




砲を曳いてのジャングル内の夜行軍は不可能に近い。とはいえ、今まで、カーバイドのつづく限りはアセチレン灯の光で、それがなくなれば古タイヤのたいまつで、昼夜を分かたぬ強行軍を続けてきた。


それでいて遅れはすでに、三日分か四日分の行程になっている。急がねば危ない。敵がバガオを占領すればもうおしまい。先行部隊と完全に遮断されて全滅する。従って日没直前に密林の前端を出、日の出直前にビタグの隘路に入ってしまわねばならない。全員は疲労の極、命の綱とたのむ二頭の水牛は飼料もやらず水もあびせずで酷使しているから、もし途中で倒れられたら、立ち往生になる。



絶対の休息地「天の岩戸」についたのが日没少し前、一気に夜行軍をつづけて日の出までにビタグにすべり込むか、明日の夕刻まで「天の岩戸」で大休止をし、人間は休養し、水牛は水につけ、草を食わせてから出発するか、どちらかを選ばねばならぬ。決断を求められたのは、この二者択一であった。私は大休止を選んだ。どう考えても、その方が合理的に思われた。



だが、こういう人間の決心の一番の奥底にあるものは、やはり、休息への本能的な願望だったかもしれない。そしてそれは全員にあった。ただ、敵中に残されたのは自分たちだけだという一抹の不安はあったが、しかし明日を考える余裕が多少とも残っているのは、私とE曹長ぐらいのものであった。「休める」、それだけで全員の顔に歓喜の表情が浮かんだ。近くの密林内の水流で水牛を水につけ、陥没地の草地に放すと、モミだらけの飯をかっこみ、全員が死人のように寝てしまった。




目が覚めた。夕刻が近い。出発は日没二時間前に開始せねばならぬ。だが動く気になれぬ。寝たまま洞窟の天井を眺めていると、この一年が走馬灯のように目の前を走った。全く無駄な「空騒ぎ」であった。そしてその「空騒ぎ」のため、私の部下はすでに全員が死んでいた。その人たちの死に物狂いの努力も、結局は、無責任な「命令」に基づく徒労の連続にすぎなかった。



砲弾輸送の人海作戦の「放言私物命令」をもって帰隊したときのことを思い出した。半ば途方にくれている私を見て、部隊長は一言「フン」と鼻先で笑った。「バカ参謀が。山本、バカ参謀には数字を見せればよいのだ。そしてナ、一人野砲弾二発なら、弾凾から取り出さにゃならん。土民が自暴自棄になって爆管を金槌でぶったたけば、炸薬が破裂して大惨事になる。


だから使えるのは兵員だけ、土民の徴用は不可能じゃ。そう書いて計画書をつくって見せてやれ。バカ参謀の頭を冷やすには事実に基づく数字の提示以外に方法はないんじゃ」」