読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

一下級将校の見た帝国陸軍(組織の名誉と信義)

「武藤参謀長の”未決”の訓示には「軍の名誉のため、ワシもそうやって黙って処刑されるから……」という前提があったはずである。(略)従って一切を無視しうる。それは本当に無視しているのであって、無視しているふりをしているのではない。



これがどれだけの力を持ちうるかは、少なくとも武器を手にした経験のある人間には、説明不要のはずである。それは暗殺者やハイジャッカーの力にも似た、絶対的な力である。



暗殺者は、暗殺の瞬間には「それを殺した」という意味で、独裁者以上の権力を持つ。そして、その場で殺されれば、その瞬間に、地上のあらゆる権力は、もはや彼にふれることは出来ぬという意味で、これはまた絶対の力をもちうる。



軍隊でこの関係が明確に出てくるのは、上官射殺のときである。その瞬間、絶対的な権力をふるったものが、彼の下に立つ。そしてその者がその場で射殺されれば、両者は平等に死者となる。死者には戦場も階級も組織もない。



生者はこれに影響力を行使し得ない。従って、この位置に、常に、明確に自らを置いている者は、超法規的に一切を支配しうる。一言で言えば、これは「知的テロ」の哲学であり、死の威力による生者支配である。



帝国陸軍は、「陛下のために死ぬ」こと、すなわち「生きながら自らを使者と規定する」ことにより、乗機の「死者の特権」を手に入れ、それによって生者を絶対的に支配し得た集団であった。



言うまでもなくそれはタテマエであり、実態は「生きながら死者の籍に入って責任を免除され、かつ死者の特権は手に入れる」か「入れようとした」者が多かったであろう。



戦後は、はっきりとそれを露呈させた。それが、戦争直後の、一般人の軍人に対する「あんなことを言って人を死地に起き撃ったくせに、結局自分だけはオメオメと生き延びて……」といった徹底的な軽侮の原因であったろう。(略)



私は武藤参謀長を眺めた。そこには阿部展也氏と全く違う位置に立ちながら、同じように独立している一人の人間がいた。(略)ただし阿部さんは自らの世界をもって行き、そこにすわって食事をしているのはその逆、生の世界なき”生ける死者”であった。そして死者にとっての唯一の関心事が、地上に残していく名誉であり、その…、彼の言葉もまた不思議ではない。



軍部ファシズムの四本柱「統帥権・臨軍費・実力者・組織の名誉」の底にあったものは何か。それは「死の哲学」であり、帝国陸軍とは、生きながら「みづくかばね、くさむすかばね」となって生者を支配する世界であった。それは言論の支配でなく、死の沈黙の支配であり、従って「言葉なし」である。(略)




帝国陸軍の暗い支配力の背後にあったものは、この「死の支配力」であった。それは集団自殺の組織にも似て、それに組み込まれた者が、その中心にあって、すでに死者の位置に自らを置いている者の支配から逃れられない状態に、よく似た状態といえる。



それは、一億玉砕というスローガンに表れ、住民七千を強制的に道連れにしたに等しいマニラ防衛隊二万の最後に現実に表れ、沖縄にも表れ、それらの状態はすべて、本土決戦のありさまを予想させていた。」


〇 「死の支配力」によって支配していた、という説明はわかりにくく、一体どういうことを言っているのか、と思いながら読みました。
確かに何かを強調する時、「死んでも嫌だ」とか「死ぬほど好き」とか、死が最上級を表すようです。死以上に「強い」ものは、ないように見えます。


でも、現実には「死ぬほど好きだ!!」と死んで見せたからと言って、その対象者=死ぬほど愛された人は、少しもその愛を受け取っていないことになるのでは?と思います。


それよりも、日々並んで一緒に生きる中でぬくもりを感じたり笑い合ったり、慰め合ったり励まし合ったりということが、その人の力になる、という面もあると思います。


そんな風に、「死ぬほど!!」「命かけて!」という強調には、幼稚な子供っぽさを感じてしまいます。
上手く言えないのですが、「死んでも…」と次の瞬間の終わりを考えている時、継続的に努力し続け、道を開拓し続ける「建設的な考え方」は生まれないような気がするのです。それは、拙い態度ではないか、と思うのですが。

若い頃から、何度も死ぬことばかり考えた私としては、今、そう思います。