読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か

禅宗について

もうひとつ、中国では、新しい宗派である禅宗ができました。これは中国独特のものです。禅宗は、大乗の出家者も使っていた小乗の戒律を止めてしまいました。どうして釈尊の制定した戒律を止めて、それでもまだ仏教であることができるのかというと、こういう論法です。



禅宗創始者は、達磨大師です。この人はインド人で、紀元六世紀のころ、インドから南海経由で渡来しました。達磨が言うのには、達磨大師の行法である座禅というものは、文字によらない釈尊直伝の修行法である。文字で記した経典はシルクロード経由で中国に伝わったかも知れないが、この秘密の修行法は伝わらなかった。それは代々師匠から弟子に伝わって、達磨大師のものになった。




こちらのほうが本当の教えである。ゆえに経典は読まなくてもいいから、座禅をしなさい。こういう教えをはじめたわけです。ですから、戒律を止めることができた。ちょっと怪しいのですが、こういう触れ込みです。



そうすると「不立文字」ということになって、経典は読まず、ひたすら座禅する。戒律を廃止した点が大事なのですが、その目的は何か
戒律は労働を禁止しています。農業を禁止しているので、出家修行者は農業ができない。生産的な労働はいっさい出来なかったのですが、禅宗は修行者に命じて農業をさせ、ほかにも生産的な活動をいろいろさせる。



具体的にいうと食糧を自分でつくり、料理もして、托鉢(乞食修業)を止めてしまったのです。そこで味噌、醤油、豆腐のような大豆蛋白で、自活する方法を生み出しました。これらは、禅宗が普及させた食品です。



こうして、精進料理というものを編み出したのが禅宗です。殺生戒はまだ生きていますから、動物性蛋白を摂ることはできない。中国の精進料理は、見た所、大豆製品を使い、肉料理にそっくりにつくってあります。フェイクなのです。(略)



その後の中国仏教について、簡単にのべておきます。
仏教は、中国で、急速に勢力を失ってしまいます。仏教が国営仏教となったことで、仏教と儒教はライバルの関係となりました。そして、儒教科挙を完成させ、国家行政を完全にコントロールするようになると、仏教は駆逐されていきます。



禅宗は、自給自足で、国家行政に組み込まれていませんでしたから、それでも生き残ることができました。とは言え、世俗社会のルールと異なった出家集団のルールを廃止してしまったので、中国社会と次第に融合し、仏教の独自性を失っていきます。」