読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

人間にとって法とは何か


「2 一揆村八分

惣村と農民の団結

でも、ふつうの人はあまりこういう法律の変遷を意識しない。どうして意識しないかというと、日本人の大部分は、村に暮らしていたわけですが、村では律令法も武家法も関係がなくて、「村の掟」だけが現実的に重要だった。何か事件があっても、正式な裁判で裁いてもらおうということはなく、だいたい村の中で決着していた。


村の掟がいつごろから機能し始めたかというと、私の感じでは、室町時代ではないか。室町時代に、日本の社会は大きく変わったと思います。室町以前は、源氏などの武士団もそうですが、一族というものが、家族を超え、かなり広い範囲で団結して、家の子郎党など、血縁をベースに組織されていた。



でも室町時代になると、そうした大きな血縁のグループは影を潜めていって、代わりに農村を中心とした地縁的な結合、一緒に住む農民たちの団結が大きな役割を占めるようになります。
これを惣村といいます。


彼らはときに応じて「一揆」という契約を結んで、団体行動を起こした。一揆がどういうときに結ばれるかというと、たとえば、税金が高すぎるのでなんとかしてほしいと、農民の要求を武士や領主に突きつける場合。農村がだんだん団結して、領主と対抗するという動きが起こる。




その結果として、村のしきたりや固有の慣行が、農民にとって大事になり、いわば法律のような役割になっていきます。最初は不文律ですが、場合によっては字に書かれることもあったと思います。それが今日、「村八分」として知られているような規範ですが、村人であるかぎり権利と義務があり、自分ひとりで勝手なことをすると、制裁が加えられる。



村八分というのは、刑法上の罰ではないけれども、たいへん有力な制裁手段です。共同体から排除されてしまうわけですから。
農村についてもうひとつ重要なのは、「家」制度ですが、これは江戸幕府が採用したものです。税収をきちんと上げていくために、田畑の売買を禁止し、「田分け」といって田んぼを分割して相続することも禁止しました。



長男は家を継げるけれども、次男以下は土地がないので、家を継げない、結婚もできないということになります。江戸時代はだいたいこのようで、農民も武士も長男がすべて相続し、次子以下は何も相続しないのです。



このシステムだと、村のメンバーシップは固定してしまって、庄屋さんは代々庄屋さん。農民にも一人前の百姓、水吞百姓といろいろランクがあるのですが、その階層は出生によって決まり、それが固定していくわけですから、民主的とはお世辞にも言えず、合理的でもない。


そのかわりに安定的で、保守的な村の秩序ができあがった。これが三百年続いたわけで、日本人の法律感覚に大きく影響していると思います。




3 法の支配と空気の支配

法の支配がなぜ重要か

ヨーロッパ社会でしばしば言われることに、「法の支配(rule of law)」があります。
この考え方の歴史は、ローマ法にさかのぼるものかもわかりませんが、まず法律は、誰が決めたか明確であるなど、法律であることの素性がはっきりしていなくてはならない。



そして法律の前では、万人が平等である。法律を勝手に政府がいじくってはならない。法律は法律であり、政府は政府である。こういうふうになっています。行政権と司法権の分離です。これが「法の支配」というものです。



専制政治にしばしばありがちなのは、支配者が勝手に命令、つまり法律を出して、勝手に裁判をするので、人民には対抗する手段がまったくないという状態。しかし「法の支配」があれば、人民は法律を盾にして、権力者と争うことができる。これが「法の支配」のとても大事な点です。



どうして「法の支配」という考え方が、権力者にとって都合が悪いにもかかわらず、ヨーロッパ文明でこれほど主流になることができたのか。その点を考えてみるとこうです。



ヨーロッパ中世の社会では、王や貴族がてんでに自分の所領を支配していました。王や貴族は権限がありますが、隣にも王や貴族がいるので、そういう意味では相対的です。


それに対して教会は、西ヨーロッパ全体をおおっている一元的な組織で、国際機関で、ひとつしかない。中心はローマです。そうすると、これを無視するわけにはいかない。王や貴族からすると、この教会はうっかり手が出せないもうひとつの勢力になります。



しかも教会のお世話にならないといけない場合がしばしばあります。たとえば所領を相続しようという場合、誰それの息子、そのまた息子、と系譜関係が明確でなければならない。誰が息子かという問題がおきますが、教会が認めた、正しい結婚によって生まれた、正しい息子でないと相続はできないのです。その証明は教会がするわけなので、教会の協力がないと、所領の支配を維持していくことができないわけです。



ひとつの例として、イギリスのヘンリー八世の場合ですが、彼は奥さんではない人の子ども(エリザベス)に王位を継承させようと思ったところ、ローマ教会が、それは正しい結婚ではないから認めない、ということで揉めてしまった。



そこでヘンリー八世はローマ教会と絶縁し、自分で教会をつくってしまいました。これは大変革命的な行動だったわけですが、ということは、これまでの王様は、同じことをやりたくても我慢していたということです。教会に妥協していたわけです。



何が言いたいかというと、封建領主の権限は、領地の中では絶対的だけれども、教会には手が出せなかった。それからもうひとつ、法律を解釈する法律家のグループがあって、それにも手が出せなかった。法律と宗教にかんして、権力者は手が出せなかった、というのがヨーロッパの特徴なのです。



これは中国やインドや日本にはない点です。これが行政権と司法権の分離であり、法律の相対的地位が高いということの意味です。」


〇真実というものがある、と思っている人々の世界には真実があるのだと思います。
愛があると思っている人の世界には愛があるように。
愛が無いと思っている人の世界には愛がないように。

「ある」と思っているから、その結晶である「法」や「宗教」の地位が高い。
真実=言葉=法であり、真実=言葉=宗教なのかな?と思いました。