読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本中枢の崩壊

「第八章 官僚の政策が壊す日本

福島原発事故で露呈した官僚の欠点

三一年の官僚人生を通して、時折感じたのが、霞が関の秀才たちの悲しい習性だった。(略)
キャリア官僚の多くは、小学生の頃から「まあ、今日も一〇〇点なの、凄いわねえ」と母親から褒められるのに始まって、地域で一番の進学校に入ってトップの成績だ、東大に合格した神童だ、国家公務員試験に通った超エリートだと、事あるごとに酸鼻される人生を送って来た。(略)



しかし秀才の悲しい性で、常に褒められていたい。裏返していえば、秀才は他人からの非難に弱い。内心、おかしいなと思っていても、上司から褒められたい、叱られたくないと思い、従う。
そのうちに、たとえ世間から見ると「悪」であっても、気にならなくなる。



官僚が世間の非難の目に晒されているとはいっても、官僚の行動は常に「匿名」だ。自分が非難に遭うわけではない。(略)



褒められないという秀才には他にも欠点がある。それはリスクを取れないということだ。通常、危ないことをして失敗したら、怒られるか批判される。子供の頃から怒られたことのない秀才は、失敗を極端に恐れるのだ。(略)新しいことには挑戦できないし、イノベーションなど夢のまた夢だ。



その結果、責任も取れない秀才は何事も責任者を不明確にしておく。何時間も会議をして責任をうやむやにしながら、なんとかコンセンサスを作ってみんなの責任ということにしようとする。彼らは、少数派が反対を続けて、白黒をはっきりさせないといけない状況を極端に嫌がる。



東電の福島原発事故への対応でも、そうした欠点が露呈したのではないか。緊急事態で情報が限られる中で、重要な決断が求められる_ベント、海水注入、米軍への協力依頼。「褒められたい秀才症候群」の秀才集団では何一つ決められなかっただろう。総理に強く進言した官僚はいなかったのではないか。」


〇 私はそれほど秀才でもなく、けっこういっぱい怒られて育ったのですが、それでも、私も失敗を極端に恐れます。どうしてこんなにも間違うことを恐れ、また間違った自分を許せないのだろう、と思います。

チャレンジを怖がるのは、優秀な官僚だけに限った特質ではないような気がします。