「テレビ朝日報道局長発言問題
この内容について、一〇月一三日に産経新聞が「非自民政権誕生を意図し報道 / 総選挙テレビ朝日局長発言」との見出しで報じた。同日午前には、自民党の小里貞利国会対策委員長(当時)が国会内で記者会見し、国会質疑も含め、国会で追及していくことを明らかにした。
この間、会合の録音テープの存在の有無が問題となっていたが、二〇日の会長辞任会見後、村上七郎副会長(当時、関西テレビ放送社長)がその存在を明らかにした。同日午後一一時に民放連は報道発表を行い、録音テープがあることを認めたうえで、「報道機関の団体である民放連が言論の在り方について検討した会合の内容が公開を強いられることは、言論・表現の自由への介入の契機を作るおそれがあり、自由な議論を阻害する。内部会合であり、個々の発言は他の会議と同様、外部に出さないことが原則」など、それまでテープの存在を否定して来た理由を述べた。
そして、連日の郵政省、国会からの要求に応じ、二二日に郵政省に当該部分の「議事録」とテープを提出した。この提出に対して、放送番組調査会の外部委員である清水秀夫委員長、半藤一利副委員長がラジオテレビ記者会で「強く反対する」声明を発表、二五日に調査会の外部委員全員が辞表を提出した。またテレビ朝日も民放連に抗議文を提出した。(略)」
「問題化の背景に「再免許交付」
この「椿発現」が急速に政治問題化した背景には、放送局への一斉再免許交付が、同年一一月一日に迫っているという事情があった。一〇月中旬と言えば、免許交付の最終段階である。
日本の放送免許は「更新」ではなく、「再免許」制である。これは運転免許に喩えると分かりやすい。
アメリカなどの放送免許は、特に違反がなければ運転免許のように「更新」される。しかし日本の場合、制度上は、競合他社が名乗りをあげれば「競願」審査ができる仕組みであり、全ての申請を一から行う「再免許」方式をとっている。
放送局の免許は、親局だけでなく、中継局(在京キー局で一九一局)や中継用の無線局など膨大な数にのぼり、かつては「軽トラック一台分」といわれたほど、大量の申請書類の提出を求められた。従って、再免許の都市ともなれば、技術セクションや経営管理セクション(免許期間中の経営計画なども提出)を中心に全社体制で対応することになる。
しかも、一九九三年の再免許は、一九八八年まで三年だった放送局の免許期間が五年に延びてから初めてのものであり、「何かあれば、また三年に戻る」との放送局側の懸念もあった。
このようなシステムは、「放送は免許制度だから権力に弱い」という根拠によく使われる。しかし、地上波に関しては、番組内容を理由にした免許停止はできない制度になっている。何故なら、地上波の免許は「施設免許」だからだ。つまり、電波を発射う設備(ハード)に対する免許であって、そこで放送される番組(ソフト)に対する免許ではない(ハード・ソフト一致型という)。従って、番組内容に問題があるからという理由で再免許を拒否することは出来ない。先達の知恵ともいえる。
なお、総務省は二〇一〇年の放送法大改正(放送法、有線テレビジョン放送法、電気通信や組む利用放送法、有線ラジオ放送法といった、従来の放送関係四法を一本化した)によって、地上波以外はハードとソフトを分ける「ハード・ソフト分離型」とした(地上波に関しては、どちらの形態を採用するか、事業者が決めることができる)。
このハード・ソフト分離型であれば、ソフト事業者は放送免許(認定という)を得る際、番組内容そのもので申請を行うため、その内容で行政処分を行うことも可能となった。
総務省の資料では、ハード・ソフト一致型を「間接規律」、分離型を「直接規律」と説明している。ハード・ソフト分離型の導入によって、番組内容に直接関与したいという官僚の本音が透けてみえる。」
〇 何故報道機関でもあるテレビが、政権の犯罪をしっかり追求しないのか、
ずっと疑問でした。
先日読んだ「日本中枢の崩壊」にあった文章をもう一度引用します。
「国税庁はその気になれば、普通に暮らしている人を脱税で摘発し、刑事被告人として告訴できるのだ。あるいはそこまで行かなくても、国税庁の査察が入るということになれば、相当な恐怖感を抱かせることが出来るのだ。
〇私は、このせいで、マスコミは政権の犯罪を追及できないのかもしれない…と想像しました。でも、この「再免許」制を読むと、そもそも、制度的にマスコミは政権に都合の悪いことを追求し続けられない仕組みが出来ているのだとよくわかりました。
民主的な良い政権であれば、マスコミに批判されても、表現の自由を尊重する。でも、独裁者が政権につき、司法もその配下にある時、もうマスコミは何の力も発揮できない仕組みになっているのだと分かりました。