読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

安倍官邸とテレビ

「(2) テレビは「オワコン」か

メディア批判のベースとなる感覚

ネットなどでは、テレビは「オワコン」(終わったコンテンツ)とも言われる。
同様に「マスゴミ」という用語もネットユーザーの間で流布されてきた。
既存のメディア関係の辞典ではあまり扱われていないため、ウィキペディアの記述を参照する。



「概要」では、「報道機関(特に大手のキー局・全国紙)とそれの視聴者を批判する際に使用される用語で、「マスコミ」と「ゴミ」を掛け合わせた言葉(かばん語)。また、さらに批判的に「カスゴミ」とも呼ばれる」とある(二〇一六年二月八日アクセス。以下同)。(略)



このようなメディア批判の感覚はネットユーザーのみならず、若者を中心に、ある程度根づいている。
安倍政権の「レッテル貼り」「断定調」などの特徴は、このようなメディア批判をベースとして支持を集めていることに、メディア自身が気づくべきなのだ。
むしろ今問われているのは、このような批判をメディア自らが客観的に解説し、自らの媒体で「メディアの役割」を説明することだ。



表現の自由」が「組織防衛」のためではなく視聴者・読者・国民のためにあることをわかりやすく説明し、メディアが存在する意義を解くことが求められる。(略)



「一番目に欠かせないメディア」はインターネット
NHK放送文化研究所が二〇一五年七月に公表した「日本人とテレビ・2015」でも、厳しい見方が出ている。(略)



「テレビを見るのが大好きだ」は、「まああてはまる」四六%とかわらないが、「あてはまる」は一九%(二〇一〇年調査・二二%)と減った。同様に「あてはまる」「まああてはまる」を合算すると、「見たかった番組を見逃すと、とても残念に思う」六〇%(同・六二%)、「話題になっている番組は見たいと思う」五〇%(同・五三%)、「テレビがついていると何となく安心できる」四八%(同・五一%)、「テレビを見たあと、前向きになる事がよくある」三九%(同・四四%)、「どこにいても、好きな時にテレビを見たい」二六%(同・二九%)と、いずれも低下している。


メディア別の接触頻度は、「毎日のように」が、テレビ七九%(同・八四%)、新聞五八%(同・六八%)と下がったが、インターネットは三八%(同・二七%)に伸びている。(略)



「役に立つメディア」では、報道、娯楽、解説、教養など、調査したすべての項目で、テレビが一位であった。しかし報道では、二〇~四〇代でテレビの評価が低下している。(略)


この調査で最もテレビ関係者にショックを与えたのは、「一番目に欠かせないメディア」という項目である。五〇代はテレビ五五%、インターネット二一%。これが二〇代になると、テレビ二五%、インターネット五四%と正反対の結果となる。(略)



トピックによってメディアの「信頼度」は変化する

一方で、情報に必要なことは、信頼度である。
総務省が二〇一二年から毎年実施している「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」で、なかなか興味深い結果が出ている。(略)



おおよその傾向は、NHK放送文化研究所の「日本人とテレビ・2015」の結果と同様だが、メディアの「信頼度」が注目される。全世代平均で新聞が一番高く七〇・六%であり、次いでテレビが六七・三%、インターネットが三一・五%。「普段、新聞を読まない」と回答したユーザーでも、新聞の信頼度は全世代平均で六〇・〇%となっており、利用の有無にかかわらずメディアイメージとしての信頼度は高い。


面白いのは、テーマ別の各メディアの信頼度だ。
テーマとして①「政治・経済問題(国内)」、②「社会問題(国内)」、③「海外ニュース」、④「原子力の安全性」、⑤「東アジアの外交問題」の五つがあげられている。



このうち、①から③までは、テレビ・新聞とも八〇%を超える高い信頼度を記録しているが、④「原子力の安全性」はテレビが五四・一%、新聞が五九・七%。⑤「東アジアの外交問題」はテレビが六五・四%、新聞が七一・七と、信頼度が低くなっているのだ。(略)
既存メディアへの「信頼感」と「不信感」が、この二つのトピックに如実に表れているのだ。



信頼回復は多様で真摯な報道で

テレビへの「不信感」が増大し、インターネットへの「信頼感」も醸成できない状態が続けば、視聴者・ユーザーにとって不幸な時代となる事は必定だ。(略)


テレビが自らを真摯に振り返り、「マスゴミ」というイメージを払拭することで、インターネットユーザーからも信頼を得ることが可能となる。
これは、青臭い理想論ではない。ビジネスというものは、常に、扱う商品が市場でどう評価されているかを踏まえ、改善される。



「ジャーナリズムを商品として扱う名」との批判があるかもしれないが、それは独善うものだ。自らの唯一の「商品」である番組をテレビ局が普段の努力で改善していくことは、当然のことである。


不毛な二項対立をメディアが繰り広げることに対して、政治権力は喜び、視聴者はそっぽを向く。そのことの重要性をテレビ界は考える時期にきている。」