読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

安倍官邸とテレビ

「(3) 視聴者はどうすべきか

テレビを「ほめる」ことの意味

それでは、我々視聴者は何をすべきか。
最も簡単かつ有効な方策は、テレビをほめることだ。
なにも、無理にほめることはない。「見てよかった」「ためになった」「感動した」と少しでも思えば、電話やメールでその局に連絡してほしい。



古舘伊知郎氏が降板会見で「誹謗中傷、批判、非難。つらいときがいっぱいありましたが、へこんだ分だけ免疫も強くしていただき、育てられました」と述べたように、とかくテレビ番組は批判されやすい。(略)



多くの視聴者が見てくれて、それを具体的な声として発してくれれば、局も番組をつうすわけにはいかない。



ネット時代のメディアリテラシー

SNSが普及する中で気になっているのが、ネット上のリテラシーだ。リテラシーの訳語はさまざまだが、ここでは「読み解く能力」と考える。
それを考えたのは、私の個人的な体験であった。


二〇一一年九月、「世界の放送政策を知りたい」と大学院生から照会があった。研究室で会うこととなったが、当日、その院生は「ニコニコニュース」の記者でもあるので、取材という形でもよいか、との話があった。



承諾し、その取材内容が同年九月二三日のニコニコニュースで「全国に波及するフジテレビ抗議デモ「木を見て森を見ず」と一部で疑問の声も」として取り上げられた。(略)


この中のインタビュー映像で、私はデモについて「木を見て森を見ていない感じがする。狭いナショナリズムに行きそう」とコメントした。
すると、その映像には「売国奴」などの誹謗中傷が書き込まれた。直後から、大学のメールアドレスには「いつ大学辞めるんですか?」「死ね」といった匿名のメールが届き、大学の代表電話には「辞めさせろ」との匿名電話があった。



私はこの体験を授業で話し、今でもネットで見ることのできる当時の映像を見せた上で、学生にこう言っている。
「相手に直接会って言えないことは、ネットにも書くべきではない。書かれた人間は当然、傷つく。それ以上に心配なのが、書いた人たちのことだ。



二〇歳前後で、人の悪口を匿名でしか言えなくなる。そうすると、間違いなく、その人の心は壊れて行く。顔が見えないからといって、勝手なことを書いていると自分が壊れる。匿名の書き込みは自分のためにやめるべきだ」(略)




単にメディアを批判的に見るだけでなく、インターネットという技術から得られるものをどう有効に使っていくかの視点が欠かせない。」


〇 あの内田樹氏が、「こんな日本でよかったね」の中で、
「自分一人が…と、そこに一個の空き缶を捨てると、そっか、ここに捨ててもいいのか …と、もう一人も、空き缶を捨てる。次々とそんな無責任な行為が積み重なって、そこは、ゴミ捨て場になる」というような例えを書いていました。

ひとりの匿名の悪口は取るに足らない行為でも、
それが積み重なって、この社会は、無責任な悪口が蔓延る
嫌な社会になります。その被害者は、自分であり、家族であり、友人であり…ということになる。