気にはなっていたのですが、読みませんでした。
三浦綾子の本で、読んだことがあるのは、「道ありき」と「塩狩峠」だけです。そして、今回やっとこの「母」を読みました。
読みやすくてありがたかったです。
そして、おばあさん(小林多喜二の母)のおしゃべりを聞く、という
形で、物語が進行するので、その言葉の温かみが、嬉しかったです。
もともとは、秋田で育った人なので、秋田弁が入った北海道弁で、
懐かしい気持ちになりました。
「…(略)いつだらかっだら尾行されていた多喜二は、いつの夜だったか、わだしにしみじみ言ったことがあった。
「おれな、母さん、おれはいつの間にか、ずいぶんと有名な小説家になったけど、内心びくびくしてるんだ。いろいろなことがわかればわかるほど、権力って恐ろしいもんだと、背中がざわざわすることがある。
これ見てくれ、おれのこの小説、✕✕がたくさんついてるだろう。これは金持ち側から言わせると、書いて欲しくない言葉が並んでるからだよ。今の時代に、✕✕の多い小説ほど、いい小説だっていう証拠なんだがねえ。こないだは、おれの小説の「蟹工船」が、東京の帝劇で大評判を取った。
けどな、評判が立てば立つほど尾行がきびしくなって、もう小説書くの、どうしようかって思うことがある。でもな母さん、世の中っていうのは、一時だって同じままでいることはないんだよ。世の中は必ず変わっていくもんだ。悪く変わるか、よく変わるかはわからんけど、変わるもんだよ母さん。そう思うとおれは、よく変わるようにと思って、体張ってでも小説書かにゃあと思うんだ」
多喜二はそう言ったの。わだしは何もわからんども、なるほど多喜二の言ったとおり、ずいぶんと世の中変わったもんだと、つくづくと多喜二の言葉を思い出すことがあるの。
メーデーなんかもおおっぴらにできるようになったもんねえ。賃上げ闘争だってできるようになったもんね。
あ、そうだそうだ。今思い出した。小樽のあのもの凄いストライキの、一番初めの初めは確か小樽に浜野って金持ちがいてね、その浜野の畠で小作人たちが働いていた。でもね、その年は何せひどい不作で、小作料を払う余裕がなかった。それでわざわざ小作人たちが
「今年だけは小作料は勘弁してくれ」
って、小樽迄頼みに来た。それの応援に小樽の労働者が加わった。ところが地主の浜野が巡査や在郷軍人に頼んで邪魔ばした。何でもそれが始まりだって聞いたような気がする。これもまちがってたらごめんなさいよ。
わだしも、警察はおっかなかったなあ。店の戸が開く音がするから、お客さんだと思って茶の間の戸ばあけて、いらっしゃいって顔ば出すと、うんともすんとも言わないで、店ん中じろじろ見ながら、突っ立っている。
「何か用だべか」
って言ったら、
「息子は銀行で、いい月給取ってるんだろ。おっかさんがこんな店することないだろ」
なんて、優しそうな声を出すの。」
〇 多喜二が酷い殺され方をした、というのは、知っていたのですが、逮捕されたその日に殺されたというのは、知りませんでした。
そして、その後、何年かして乗ったタクシーの運転手が、自分は本来は右翼だけど、あの小林多喜二のような殺し方をするのは、間違ってる、
と言っていたのが、心に残りました。
簡単に狂ってしまう人間いるもいるけれど、でも一方には、しっかり良識のある人間がいる、と思いました。
世の中は必ず変わる、という多喜二の言葉が、今の時代にも言われているようで、印象的でした。